宇佐八幡宮は、滋賀県大津市に位置する歴史ある神社です。この神社は「むし八幡」とも呼ばれ、地域の人々から子どもの守護神として広く信仰を集めています。創建当時からの長い歴史を持ち、現在も多くの参拝者が訪れます。
宇佐八幡宮の主祭神は、八幡大神(応神天皇)です。八幡大神は武運長久を祈る神としても知られ、多くの武士から崇敬されてきました。
宇佐八幡宮は、平安時代中期の治暦元年(1065年)に源頼義によって創建されました。源頼義は前九年の役の後、近江国錦織郷(現在の滋賀県大津市)に館を構え、八幡宮を建立しようとしました。その際、神鳩が現れ、頼義を現在の宇佐八幡宮の地へ導いたとされています。こうして、九州の豊前国(現在の大分県)にある宇佐八幡宮から八幡神を勧請し、この地に新たな宇佐八幡宮が誕生しました。以降、この地は「宇佐山」と呼ばれるようになり、神社の名も広く知られるようになりました。
治暦元年に創建された宇佐八幡宮は、かつては壮麗な社殿を誇っていましたが、元亀元年(1570年)に織田信長が築いた宇佐山城の影響で、大きな転機を迎えました。同年、織田信長と浅井・朝倉連合軍との志賀の陣が勃発し、宇佐山城も戦火に包まれました。この際、激戦により森可成が討死し、神社は全焼してしまいました。しかし、その後、地域の人々の手によって再興され、現在の姿に至っています。
宇佐八幡宮は「むし八幡」とも呼ばれ、特に子どもの成長を祈る神社として知られています。境内には、小さな土鳩の人形が奉納されており、これは古くは神への感謝の印として奉納されていたものです。現在では、土鳩は子どもの健康や成長を願う象徴とされ、奉納される土鳩の胴体には子どもの名前や年齢、祈願が記されています。
宇佐八幡宮の境内には、いくつかの見どころがあります。まず、参拝者が最初に訪れるのが「下拝殿」と鳥居です。この場所から急斜面を登ると、中腹にある「上拝殿」と本殿に到達します。どちらの拝殿も、厳かな雰囲気が漂い、地域の人々から長く親しまれてきた場所です。
境内には「金殿井」という霊泉があり、これは天智天皇が近江大津宮にいた際、病を患ったときにこの井戸の水を飲んで回復したと伝えられています。この神聖な井戸の水は、今でも参拝者にとって特別な存在です。
宇佐八幡宮の創建時に頼義を導いたとされる神鳩の足跡が「御足形」として境内に残されています。これは、神社の歴史を感じさせる重要な遺産の一つです。
宇佐八幡宮では、毎年9月14日の夜から15日にかけて「夜祭り」と呼ばれる例祭が行われます。この祭りは古くから続く伝統的な行事で、夜に松明(たいまつ)の明かりを頼りに、2基の神輿(みこし)が山道を何度も上り下りする様子が見どころです。この祭りは、厄除けの儀式ともされており、奉仕した者やお供をした者は厄災が払われると信じられています。
夜祭りでは、標高200メートルの神社から松明の明かりを頼りに、2基の神輿が下拝殿まで急な坂道を下っていきます。神輿は一気に下るのではなく、何度も山道を上り下りする様子が見られ、勇壮な光景が広がります。祭りのクライマックスは、暗い山道を神輿が進む瞬間で、参加者と観客を一体にする壮大なイベントです。
宇佐八幡宮の境内には、いくつかの摂社や末社もあります。これらの神社も、参拝者にとって重要な存在です。
宇佐八幡宮が鎮座する宇佐山は、標高336メートルあり、登山道を登ると山頂には「宇佐山城跡」があります。宇佐山城は、織田信長の命により森可成が元亀元年(1570年)に築城しました。宇佐山城は、信長の城郭建築において、安土城に先んじて石垣を用いた重要な城として知られています。現在は、石垣や城跡が残っており、歴史を感じながら美しい景色を楽しむことができます。