滋賀県大津市に鎮座する歴史ある神社「近津尾神社」は、石山寺の守護社として設立され、長い歴史を持つ神社として地域に親しまれています。また、俳人松尾芭蕉ともゆかりが深く、その歴史的背景が興味深い点でも知られています。
近津尾神社の主祭神は「誉田別尊(ほんだわけのみこと)」です。誉田別尊は武運の神として知られ、勝利と繁栄をもたらす神として古くから信仰されています。
『石山寺記録』中之巻3によれば、近津尾神社は承安3年(1173年)、石山寺の座主公祐僧都によって石山寺の鎮守社として創建されました。石山寺は琵琶湖畔に位置する名刹で、この鎮守社は石山寺を護るために設けられたものです。
また、江戸時代の元禄年間には、日本を代表する俳人松尾芭蕉が境内地に移り住み、幻住庵という庵を営んだことでも知られています。この庵は後に再建され、現在も多くの観光客が訪れる場所となっています。
近津尾神社の神紋は「左三ッ巴(みつどもえ)」です。この神紋は古くから神社や武士に用いられてきたもので、力強さと調和を象徴しています。
近津尾神社では毎年5月5日に例祭が執り行われます。この祭りは地域の伝統行事として、多くの人々が参列し、神社に感謝を捧げます。
近津尾神社の境内には、以下の3つの末社が鎮座しています:
近津尾神社へは、JR琵琶湖線(東海道本線)の石山駅や京阪石山坂本線の京阪石山駅から京阪バス(国分団地行き)に乗車し、「幻住庵」停留所で下車、徒歩約4分で到着します。
自動車で訪れる場合は、京滋バイパス石山ICから約5分の距離にあります。なお、駐車場は幻住庵と共用です。
幻住庵は松尾芭蕉が元禄3年(1690年)に約4カ月間隠棲した小庵です。この庵は、芭蕉が「奥の細道」の旅を終えた翌年に、膳所の義仲寺無名庵から移り住んだ場所です。芭蕉はここで「幻住庵記」を著し、その後も多くの文学愛好者に影響を与えました。
この庵はもともと、芭蕉の門人である菅沼曲水の伯父、幻住老人(菅沼定知)の別荘でしたが、幻住老人の没後に放置されていたものを手直しして芭蕉に提供されました。
幻住庵の名前は、かつてこの地に住んでいた幻住老人に由来しています。芭蕉はここでの生活を「いとど神さび」と表現し、深い自然の中での静けさと神秘的な雰囲気を感じ取っていたようです。21世紀の現代においても、その趣は変わらず残されています。
現在の幻住庵は、1991年(平成3年)9月に松尾芭蕉没後300年記念事業「ふるさと吟遊芭蕉の里」の一環として復元されました。敷地内には、芭蕉が「幻住庵記」に記述した清水、通称「とくとくの清水」が今も湧き出しており、かつて芭蕉が自炊に使用していたと伝えられています。この清水の存在が、芭蕉が自然と共に生活していたことを物語っています。
幻住庵に隠棲していた芭蕉は、自然を詠んだ句を数多く残しています。特に有名な句として次のものがあります:
先づ頼む 椎の木も有り 夏木立
この句は、幻住庵の静けさと自然の豊かさを詠んだものとして、多くの人々に親しまれています。
幻住庵へは、JR琵琶湖線(東海道本線)の石山駅または京阪石山坂本線の京阪石山駅から京阪バス(国分団地行き)に乗車し、「幻住庵」停留所で下車、徒歩約4分で到着します。
自動車で訪れる場合は、京滋バイパス石山ICから約5分の距離にあります。駐車場は近津尾神社と共用です。
近津尾神社と幻住庵は、歴史と自然が織り成す魅力的な観光スポットです。神社では、古くからの信仰と祭事が続けられており、また芭蕉の幻住庵では、文学的な風情と自然の静けさを感じることができます。どちらもアクセスが良く、観光の際には立ち寄ってみる価値のある場所です。