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篠津神社

(しのづ じんじゃ)

篠津神社は、滋賀県大津市中庄に鎮座する由緒ある神社です。その歴史は古く、膳所藩主や有栖川宮など、多くの人々から深い崇敬を受けてきました。本記事では、篠津神社の祭神、歴史、文化財、そしてその魅力的な境内について詳しくご紹介します。

祭神

篠津神社では素盞嗚命(すさのおのみこと)が祭神として祀られています。素盞嗚命は、古代の日本神話において強い武勇と勇気を象徴する神であり、災いを鎮め、厄災を祓う神として信仰されています。

篠津神社の歴史

創祀の由来

篠津神社の創祀年代は不詳ですが、古くは「大梵天王社」と呼ばれていました。これにより、この地が古くから神聖な場所として崇敬されていたことがわかります。室町時代にはすでに鎮座していたと考えられ、康正2年(1456年)の棟札がその証拠として残されています。

膳所藩主や有栖川宮との関わり

近世になると、篠津神社は膳所藩の歴代藩主を始めとする多くの人々から崇敬されました。特に、本多氏や有栖川宮家からは鳥居の寄進や社参が度々行われ、神社の歴史に重要な役割を果たしています。現存する本殿は、膳所城主本多俊次公によって万治4年(1661年)に再建されました。

明治以降の発展

明治元年(1868年)には「大梵天王社」から「篠津神社」へと改称され、村社に列せられました。その後、大正11年(1922年)には県社に昇格し、さらに篠津神社としての地位を確立しました。

神紋

篠津神社の神紋は「瓜」です。瓜は古代より神聖視され、豊作や家内安全を象徴する意味が込められています。

主な祭事

篠津神社では、さまざまな祭事が行われています。特に注目すべきは、毎年5月3日に行われる例祭です。この例祭は、地域住民や参拝者にとって重要な行事となっており、神社の歴史や伝統を今に伝えています。

境内建物

篠津神社の境内には、歴史的な建物が多く存在しています。中でも重要なのが、膳所城の旧北大手門を移築した表門です。この表門は、国の重要文化財に指定されており、神社の長い歴史を物語っています。

本殿

篠津神社の本殿は一間社流造で、間口二間、奥行二間の規模を持ちます。古くからの神社建築の様式を今に伝える美しい建物です。

拝殿

拝殿は、入母屋造で、間口三間、奥行三間の広さがあります。参拝者が神様に向かって祈りを捧げる神聖な場所です。

その他の建物

篠津神社には、中門表門(国指定の重要文化財)、神饌所神輿庫神具庫手水舎社務所などがあり、参拝者の利便性や、祭事の際の神具の保管に使用されています。

境内社

篠津神社の境内には、いくつかの境内社も鎮座しています。それぞれが異なる神々を祀り、地域の信仰の中心となっています。

少彦名社

少彦名社は、医薬の神として信仰されており、病気平癒や健康祈願に訪れる参拝者が多くいます。

高龗社

高龗社は、水を司る神として信仰されています。水に関する願い事や、雨乞いの祈願が行われることが多い神社です。

六柱神社

篠津神社の境内には六柱神社が二つあります。一つは稲荷明神を祀り、もう一つは菊理姫命を祀っています。どちらも農業や商売繁盛を祈願するための神社として、地元の人々から篤く信仰されています。

文化財

篠津神社には、国の重要文化財に指定されたものや、歴史的に貴重な遺物が数多く残されています。

表門

篠津神社の表門は、かつて膳所城の北大手門として使用されていたもので、国の重要文化財に指定されています。重厚な造りが特徴で、城門としての歴史を感じさせる建物です。

棟札

神社には、室町時代の康正2年(1456年)に遡る棟札が残されており、当時の篠津神社の姿を今に伝えています。この棟札は、神社の長い歴史を証明する重要な文化財です。

アクセス

篠津神社へのアクセスは、公共交通機関を利用するのが便利です。最寄り駅から徒歩圏内にあり、観光や参拝に訪れる際には気軽に足を運ぶことができます。また、静かな環境に囲まれた神社であり、心を落ち着けて祈りを捧げることができます。

まとめ

篠津神社は、その歴史的な価値や、膳所城との関わり、そして神社にまつわる文化財の数々で知られています。また、祭事や境内社など、地域の人々にとって欠かせない存在であり、長い歴史を通じて多くの人々から深い崇敬を受けてきました。訪れる人々は、神社の静かな雰囲気や、古き良き日本の伝統を感じることができるでしょう。是非、篠津神社を訪れて、その歴史と文化に触れてみてください。

Information

名称
篠津神社
(しのづ じんじゃ)

大津・比叡山

滋賀県