雄琴神社は、滋賀県大津市雄琴に位置する神社です。旧社格は郷社で、神紋は「抱茗荷」とされています。雄琴神社はその長い歴史と神秘的な祭神により、地域の人々に深く信仰されています。
主祭神
雄琴神社の主祭神は、大炊神 今雄宿禰命(おおいのかみ いまおすくねのみこと)です。今雄宿禰命は、垂仁天皇の皇子である於知別命の後裔で、仁寿元年(851年)に雄琴荘を拝領し、元慶8年(884年)に亡くなりました。この人物は、後に小槻氏という家系を築き、雄琴地域を治めました。また、彼は「阿保今雄」や「小槻今雄」とも呼ばれています。
配祀神
雄琴神社には以下の配祀神も祀られています。
これらの神々は、正応4年(1291年)に相殿に配祀されました。
雄琴神社の歴史は、平安時代にさかのぼります。大同3年(808年)に雄琴山上に鎮座したとされ、この時には今雄宿禰命はまだ祀られていなかったと推測されています。代わりに、土地神として地元の神が崇拝されていたようです。
仁寿元年(851年)、今雄が雄琴荘を拝領し、雄琴地域は小槻氏の所領となりました。社名や地名である「雄琴」の由来については、今雄宿禰命の邸から琴の音が聞こえたためだと伝えられています。今雄宿禰命が亡くなった後、延長4年(926年)に子供である小槻当平が社殿を造営し、一族の礎を築いた今雄の神霊を「雄琴社大炊神」と称して祀り始めました。
小槻氏はこの神社を苗鹿(なおか)にある那波加神社とともに氏神として崇敬し、法光寺の鎮守社を担っていました。また、現在の福領寺は、雄琴神社の神宮寺として機能していました。
元亀年間(1570年 - 1573年)に起こった兵火によって、社殿を含む建物が焼失してしまいましたが、延宝2年(1674年)に再建されました。さらに、明治41年(1908年)には、近代社格制度において郷社に列せられました。
縁起によれば、雄琴神社は平城天皇の大同3年に雄琴山上に鎮座されたと伝えられています。主祭神である今雄宿禰命は、文徳天皇の時代に火史官として奉職していました。その後、仁寿元年に文徳天皇からその勲績を認められ、雄琴荘を賜りました。今雄宿禰命は元慶8年に亡くなり、法光寺に葬られました。
醍醐天皇の延長4年に、今雄宿禰命の子である小槻当平宿禰が社殿を造営し、今雄宿禰命の神霊を「雄琴社大炊神」として祀りました。さらに、伏見天皇の正応4年には、崇道尽敬天皇と大己貴命が相殿に奉遷されました。
また、元亀の変(1570年 - 1573年)では、戦闘によって社殿が焼失しましたが、延宝2年に霊元天皇によって社殿が再建されました。明治41年には、雄琴神社は郷社に列せられました。
小槻氏一族は代々官務の要職に奉職しており、そのため、雄琴神社は古くから学問の神としても信仰されています。
本殿
雄琴神社の本殿は、一間社流造の様式で、間口一間、奥行一間三尺の構造です。
中門
中門は本殿へ向かうための門として設置されています。
拝殿
拝殿は入母屋造で、間口二間、奥行二間の規模を持ち、参拝者が祈りを捧げる場所です。
その他の建物
境内には神饌所や神輿庫、手水舎、社務所などが配置されており、訪れる人々を迎えるための施設が整っています。
雄琴神社の境内には、以下の摂末社も祀られています。
雄琴神社は滋賀県大津市雄琴二丁目10-1に位置しています。
鉄道
JR西日本湖西線の「おごと温泉駅」から徒歩約10分でアクセスできます。
バス
びわ湖浜大津駅(京阪石山坂本線・京津線)からは、江若バスを利用して「北雄琴」バス停で下車し、徒歩約7分で到着します。
福領寺
雄琴神社の近くには、福領寺があります。福領寺は元神宮寺であり、本尊の円仁作阿弥陀如来坐像は重要文化財に指定されています。