長等神社は、滋賀県大津市三井寺町にある神社で、かつては新日吉社や新宮社とも呼ばれ、園城寺(三井寺)の鎮守社として歴史的に重要な役割を果たしてきました。神社は長等山の麓に位置し、1300年を超える歴史を持つ名社です。
長等神社の歴史は、天智天皇が667年頃に近江大津宮の鎮護として長等山岩座谷に建速須佐之男大神(たけはやすさのおのおおかみ)を祀ったことに始まります。貞観2年(860年)、園城寺の初代長吏である円珍が、この神社を園城寺の守護神として勧請し、山王権現も併せて祀りました。その後、庶民も参詣できるようにと、天喜2年(1054年)に現在の地に移されました。
長等神社には、大津市指定文化財である豪華な朱塗りの楼門があり、その門を抜けると歴史を感じさせる厳かな空間が広がります。この楼門は明治38年(1905年)に建てられたものですが、中世の古い様式を細部にまで生かした見事な建築です。また、全国的にも珍しい五間社流造(ごけんしゃながれづくり)の本殿と、それを囲む回廊も、見る人々を魅了します。
長等神社は自然にも恵まれており、春には境内に咲き誇るしだれ桜が見事です。特に、長等公園や疏水、園城寺(みいでら)周辺には多くの桜が咲き、春の散策には最適なスポットです。また、秋には鮮やかな紅葉が神社の楼門や本殿を彩り、訪れる人々を魅了します。
楼門
大津市指定の有形文化財である楼門は、1904年(明治37年)に建立されました。朱塗りの豪華な造りは、訪れる人々に歴史的な重みを感じさせます。
天智天皇6年(667年)、天智天皇が近江大津宮に遷都した際、鎮護のために長等山の岩座谷に建速須佐之男大神を祀ったのが、長等神社の始まりです。その後、貞観2年(860年)には、円珍が園城寺の守護神として山王権現を合わせて祀り、園城寺の鎮守社としました。この際、延暦寺の鎮守社である日吉大社に対抗して「新日吉社」と呼ばれるようになりました。
南北朝時代の建武3年(1336年)には、戦乱に巻き込まれ社殿が焼失しましたが、暦応3年(1340年)に室町幕府初代将軍足利尊氏によって再建されました。この時期から長等神社は地域の守護神としての役割を再び果たし始めます。
明治時代に入り、神仏分離の流れの中で園城寺から独立し、1883年(明治16年)に現在の「長等神社」と名称を改めました。そして、1904年(明治37年)には現在の楼門が建立され、1910年(明治43年)には県社に昇格しました。
長等神社では、以下の五柱の神々が主祭神として祀られています。
長等神社の境内には、本殿や回廊、中門、拝殿といった歴史的建造物が数多く残されています。さらに、平忠度の歌碑や、様々な稲荷神社もあり、参拝者は歴史や文化を肌で感じることができます。
平安時代末期の武将であり、平清盛の弟である平忠度が詠んだ歌の碑が境内に立っています。この歌碑は、歴史的背景を知ることで一層興味深く感じられます。
長等神社には、馬神神社、栄稲荷神社、末春稲荷神社、権平稲荷神社、駒竹稲荷神社といった多くの稲荷神社が併設されています。これらの稲荷社も、多くの参拝者が訪れるスポットです。
例祭
長等神社の例祭は、毎年5月5日に行われます。この祭りは、地域の人々や観光客で賑わい、神社の歴史や伝統を感じることができる重要なイベントです。
長等神社へは、JR琵琶湖線の大津駅から徒歩20分、または京阪電鉄石山坂本線の三井寺駅から徒歩11分と、公共交通機関を利用して訪れることが可能です。大津市内の観光スポットである園城寺(三井寺)や長等公園と併せて訪れることをおすすめします。
園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市に位置する天台寺門宗の総本山で、日本有数の歴史を誇る寺院です。長等神社との歴史的なつながりも深く、観光客にとっては必見のスポットです。園城寺は「三井の晩鐘」という近江八景の一つとしても有名です。
園城寺の創建は、奈良時代に遡ります。本尊は弥勒菩薩であり、日本三不動の一つである黄不動も有名です。また、園城寺の観音堂は、西国三十三所観音霊場の第14番札所となっており、如意輪観世音菩薩が札所本尊として祀られています。
平安時代や鎌倉時代の文学作品において、しばしば「寺」といえば園城寺を指します。日本の古典文学に登場する延暦寺が「山」(比叡山)と呼ばれているのに対して、園城寺は単に「寺」として親しまれてきました。
園城寺へは、長等神社と同様に大津市内の公共交通機関を利用して簡単にアクセスできます。大津駅または三井寺駅が最寄りの駅となり、そこから徒歩圏内で訪れることができます。