豊満神社は、滋賀県愛荘町にある歴史と伝説に彩られた神社です。この神社は「旗神さん」や「御旗さん」といった親しみのある呼び名で呼ばれ、縁結びや美人祈願などのご利益を求め、多くの参拝者が訪れています。
豊満神社は、滋賀県愛荘町に位置しており、愛知川駅から南方に約2キロメートルの距離にあります。境内には竹林が広がっており、この竹は旗竿にすると戦いに勝つと伝えられているため、「旗神さん」や「御旗さん」として信仰されています。
豊満神社の主祭神である大国主命(おおくにぬしのみこと)は、縁結びの神として古くから信仰されています。特に女性の容姿向上を祈る「美人祈願」は、全国的にも珍しく、多くの女性参拝者が訪れています。
豊満神社の創建年代は不明ですが、延長8年(930年)に社殿が改築された記録が棟札に残っています。また、1378年(康暦元年)に鋳造された鐘の銘文には、この神社が古くから地域の氏神として崇められていたことが記されています。さらに、皇室からも篤い崇敬を受けていたことが伝えられています。
豊満神社には、神功皇后が三韓征伐の際に境内の竹で軍旗を作り、戦いに勝利したという伝説が残っています。そのため、源頼朝や豊臣秀次をはじめとする多くの武将が、この竹を用いて戦勝祈願を行ったとされています。
江戸時代には、井伊氏が豊満神社で厄除けの祈願を行ったことから、「厄除けの神」としても知られるようになりました。1868年(明治元年)には「豊満大明神」から「豊満神社」に改称され、1876年(明治9年)には村社、1881年(明治14年)には郷社、1930年(昭和5年)には県社に昇格しました。現在では、神社の名前から「豊満」にちなんで、女性のスタイル向上のご利益を求める参拝者が増えています。
豊満神社の主祭神は以下の通りです。
豊満神社の境内南側には四脚門があります。この門は1902年(明治35年)に重要文化財に指定されました。四脚門とは、本柱の前後に計4本の控柱が立つ門のことで、柱の太さが特徴的ですが、上部の組物や垂木の造りは繊細で対照的です。屋根は檜皮(ひわだ)と杮(こけら)が交互に葺かれた「鎧葺き(よろいぶき)」の技法が用いられています。
拝殿には、左甚五郎が作ったとされる菱形の格子戸が残されています。かつてこの格子戸は四脚門に取り付けられていたと言われています。
四脚門を出て、参道の左側には「勝運伝説の竹林」が現在も広がっています。ここで育つ竹は戦いに勝つ力があるとされ、武将たちが戦勝祈願に訪れた伝説があります。
豊満神社の境内には、摂社として樹下神社(じゅげじんじゃ)と八大龍王社(はちだいりゅうおうしゃ)、末社として津島神社(つしまじんじゃ)が祀られています。
豊満神社には、重要文化財として指定されている建造物があります。