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奥石神社

(おいそ じんじゃ)

奥石神社は、滋賀県近江八幡市安土町東老蘇に位置する歴史的な神社です。式内社として知られ、旧社格は県社に位置づけられています。この神社は、東老蘇集落の北側、中山道(中仙道)沿いに広がる「老蘇森(おいそのもり)」という国の史跡の中に鎮座しており、その歴史的背景や自然の美しさから、多くの観光客が訪れるスポットとなっています。

概要

奥石神社の所在地は、滋賀県近江八幡市安土町東老蘇1615であり、周辺は自然豊かな環境に囲まれています。鳥居をくぐると、静けさと神秘的な雰囲気に包まれた境内が広がっており、訪れる人々を魅了します。

鳥居と祭神

奥石神社の鳥居をくぐると、その奥に現在の祭神である「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」が祀られている本殿が見えてきます。この神社では、火除竈神(ひよけかまどがみ)として「竈(かま)」に「鎌(かま)」の字があてられたことから、「鎌大明神」や「鎌宮」とも称されてきました。現在でも、氏子たちは鎌を奉納する風習を守り続けています。

奥石神社の歴史

創建

奥石神社の創建は『奥石神社本紀』によれば、至徳元年(1384年)の記録によります。神社の歴史はさらに古く、第7代孝霊天皇の5年(紀元前290年頃)に石辺大連(いそのおおむらじ)が老蘇森に神壇を築き、大歳神御子(おおとしのかみのみこ)を祀ったことに始まると伝えられています。また、第10代崇神天皇の時代には吉備津彦(きびつひこ)が宮殿を設け、第15代応神天皇の時代に賀佐朝臣(かさのあそん)が日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀ったとされています。

一説には、繖山(きぬがさやま)を神体山とする原始信仰が起源とされ、現在の神社は繖山の磐座(いわくら)を遥拝(ようはい)するための里宮(さとみや)であるとも言われています。

概史

奥石神社は古くからの歴史を持ち、平安時代の大同元年(806年)の記録『新抄格勅符抄』には、当時「奥石神」に神戸(じんこ、神社に属する土地)として近江国から1戸が充てられたことが記されています。さらに、仁寿元年(851年)には正六位上の神階を賜ったとも伝えられています。

また、927年に編纂された『延喜式』神名帳には、近江国蒲生郡に「奥石神社」として記載され、式内社としての格式が与えられています。天正9年(1581年)には本殿が再建され、近世には「鎌大明神」や「鎌宮神社」とも称されていました。明治維新後、1876年には村社に列し、1924年には県社に昇格しました。

境内の見どころ

本殿(国の重要文化財)

奥石神社の本殿は、天正9年(1581年)に再建されたもので、現在も国の重要文化財として保存されています。三間社流造(さんげんしゃながれづくり)の建物で、前面には向拝(こうはい)一間を付し、屋根は檜皮葺(ひわだぶき)です。装飾は華麗で、蟇股(かえるまた)や手挟(たばさみ)の彫刻が施され、織田信長の安土城城下町形成との関連も指摘されています。

諏訪社(近江八幡市指定有形文化財)

奥石神社の境内には、建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)と八坂刀売命(やさかとめのみこと)を祀る諏訪社が鎮座しています。この建物は安土桃山時代の造営とされ、一間社流造で檜皮葺の屋根を持ち、安政7年(1860年)と1880年に修理が行われましたが、当初の材を良好に保っています。

老蘇森(国指定史跡)

奥石神社の周囲に広がる老蘇森は、国指定の史跡としてその価値が認められています。スギ、ヒノキ、マツなどの木々が立ち並び、かつては「地が裂けて水が湧き、人が住めない土地」とされていましたが、石辺大連が木々を植え、神々に祈願したことで大森林となったと伝えられています。この森は古くから歌にも詠まれ、『梁塵秘抄』や『東関紀行』などにもその名が登場します。

アクセス情報

所在地

奥石神社は、滋賀県近江八幡市安土町東老蘇1615に位置しています。

交通アクセス

奥石神社へは、JR東海道本線(琵琶湖線)の安土駅から「あかこんバス」を利用し、約15分で「奥石神社」停留所に到着します。

文化財

奥石神社には、次のような重要な文化財が存在します:

まとめ

奥石神社は、歴史的な価値と自然の美しさが調和した魅力あふれる神社です。歴史的な背景を感じながら、神秘的な老蘇森を散策することで、訪れる人々は古の時代へとタイムスリップしたかのような体験ができます。滋賀県を訪れた際には、ぜひ奥石神社に足を運び、その歴史と自然の魅力を感じてみてください。

Information

名称
奥石神社
(おいそ じんじゃ)

彦根・近江八幡

滋賀県