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玄宮園

(げんきゅうえん)

彦根城を借景にした回遊式の大名庭園

彦根城の北側の内堀に面した、広大な敷地面積を誇る回遊式庭園として知られる大名庭園です。

彦根城の天守閣や茂った木々が背景に広がり、大きな池に突き出る臨池閣や築山にある鳳翔台などがあります。鳳翔台は彦根藩の賓客をもてなすための客殿で、古風な雰囲気の建物です。

庭園内には巧みに樹木や岩石、池が配置されており、中国の湖南省洞庭湖の瀟湘八景や近江八景の竹生島や沖の白石などが再現されています。

玄宮園からは彦根城の天守閣を望むことができ、、初夏には池に浮かぶ蓮や菖蒲の花が咲き、花の香りが庭園を包みます。春には桜、秋(11月中旬から12月上旬)には紅葉と様々な色彩が楽しめます。

鳳翔台では抹茶を楽しむことができ、さまざまなイベントも開催されています。玄宮園では「虫の音を聞く会」や「錦秋の玄宮園ライトアップ」といった催し物が行われ、遠方から多くの人々が訪れます。

玄宮園は楽々園とともに国の名勝に指定されています。2015年には日本遺産にも認定されました。

玄宮園(げんきゅうえん)

江戸時代には「槻之御庭」と呼ばれていました。隣接する楽々園は槻御殿と呼ばれ、1677年に彦根藩の4代藩主 井伊直興によって造営が始まり、1679年に完成しました。

1813年には第11代藩主 井伊直中の隠居屋敷として再整備され、現在の姿に近づけられました。

1951年には国の名勝に指定されました。現在、庭園部分は玄宮園、御殿部分は楽々園と呼ばれています。

玄宮園の名前は、古代中国の宮廷の名前に由来すると考えられています。庭園内にある数寄屋建築の「八景亭」から、中国の瀟湘八景や近江八景を取り入れて作庭されたという説もありますが、江戸時代の「玄宮園図」には八景亭の名前は記されておらず、代わりに「臨池閣」と呼ばれていたようです。

また、玄宮園図には「鳳翔台」「魚躍沼」「龍臥橋」「鶴鳴渚」「春風埒」「鑑月峯」「薩埵林」「飛梁渓」「涵虚亭」という十の景観が示されており、当時は「玄宮園十勝」と呼ばれていたことが確認されています。

玄宮園は、入り組んだ広大な池を中心にした回遊式庭園で、池の中には4つの島や入江を持つ9つの橋があります。

池の水は、湧水の豊富な外堀から導水され、小島の岩間からは滝が流れていました。また、船小屋もあり、訪れた人々は船で楽しみました。

庭園の北側には水門があり、大洞の弁財天堂や清凉寺・龍潭寺への参詣や御浜御殿への訪れにも利用されました。

楽々園(らくらくえん)

彦根藩の二の丸御殿として彦根藩 4代藩主井伊直興によって建立されました。かつては槻御殿と呼ばれていました。現在は、建物部分を楽々園、庭園部分を玄宮園として区別しています。

槻御殿の位置は、広大な湖岸の干拓地でした。江戸時代初期には、重臣の川手主水の屋敷があったとも伝えられていますが、御殿や庭園の整備に際して大規模な拡張工事が行われ、その敷地面積は藩庁である表御殿(現在の彦根城博物館)を大きく上回っています。

井伊直興亡き後、倹約令などにより楽々園の建物は縮小する傾向が見られましたが、1813年の11代藩主 井伊直中の隠居の際には大規模な増改築が行われ、その後間もなく楽々園は最大規模に拡大しました。

その当時の楽々園は現在の建物の約10倍の大きさを誇っていました。現在も残る「御書院」はその際に新築され、御書院の前には新たな「庭園」が築かれました。現在の庭園は枯山水になっていますが、古い絵図を見ると水が満ち溢れている様子がわかります。

御書院の奥には渓谷のような風景が広がり、「地震の間」と「楽々の間」へと続いています。地震の間は耐震構造の建物であり、現在もその名が使われていますが、当時は茶の湯に使われる「茶座敷」でした。

楽々の間も同様に数寄屋建築であり、12代藩主 井伊直亮によって地震の間の奥に増築されました。この建物は「楽々園」という名前の由来ともなり、最近では煎茶の茶室として注目されています。

Information

名称
玄宮園
(げんきゅうえん)
リンク
公式サイト
住所
滋賀県彦根市金亀町3-40
電話番号
0749-22-2742
営業時間

8:30~17:00

定休日

無休

料金

入場料 彦根城と共通
大人 800円
小人 200円

鳳翔台の抹茶 500円

駐車場
有料 300台
アクセス

JR琵琶湖線「彦根駅」下車、徒歩15分

名神高速道路 彦根ICより国道306号を彦根方面へ約15分

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