摠見寺は、滋賀県近江八幡市安土町に位置する臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は遠景山です。織田信長によって建立されたこの寺は、安土城跡の一部にあり、戦国時代の歴史的な趣を今に伝える貴重な存在です。
摠見寺は、天正年間(1573年~1592年)に織田信長が安土山の中腹に建立した寺院です。創建当初、尭照法印という僧侶が寺に住していたものの、摠見寺は正式な住持とは認めていませんでした。信長の死後、正仲剛可が正式な開山として住持となり、寺の運営を引き継ぎました。
信長は、近隣の社寺から多くの建物を摠見寺に移築しており、その中でも二王門や三重塔は、現在も重要文化財として保存されています。18世紀頃までには、仁王門、方丈、書院、庫裡、三重塔、鎮守社など、合計22棟の建物がありましたが、嘉永7年(1854年)の火災により、主要な建物の多くが焼失してしまいました。その後、仮本堂が徳川家康邸跡と伝えられる場所に建てられました。
江戸時代の摠見寺は、檀家を持たず、227石5斗の寺領を有していました。元禄8年(1695年)には、織田家の宇陀松山藩から丹波柏原藩への転封に伴い、織田信休が大和国松山城下の徳源寺から歴代当主の墓を移し、現在も安土城長谷川秀一邸跡にその墓が残っています。
さらに、江戸時代には信長の百回忌や二百五十回忌などの大規模な法事が行われ、その際には織田一族や領主である仁正寺藩市橋家から使者が派遣されるなど、織田家との深い結びつきが確認できます。
明治維新後、寺領の喪失などにより摠見寺は衰退の道をたどりました。しかし、明治18年(1885年)には内務省から修繕費50円が支給されるなど、寺の保存活動が行われました。
摠見寺の初代住職は、織田信安の父である正仲ですが、その後、住職不在の時期が続きました。元和3年(1617年)、信雄の仲介で龍安寺西源院の住職寿圭が摠見寺住職を兼務することとなり、寿圭の死後は織田一族から歴代住職が選ばれるようになりました。歴代住職は、織田家との深い関わりを持ち、大和国松山藩や丹波柏原藩の養子として活動した僧も多くいます。
二王門は、入母屋造本瓦葺き楼門で、元亀2年(1571年)に建立されました。摠見寺の創建時に近江国甲賀郡柏木神社から移築され、現在もその美しい姿を保っています。重要文化財に指定されています。
三重塔は、享徳3年(1454年)に建立され、摠見寺創建時に近江国甲賀郡長寿寺から移築されました。こちらも重要文化財に指定されています。
室町時代に作られた木造の金剛力士立像も、摠見寺に現存する貴重な文化財の一つです。
摠見寺には、織田信長が所用したと伝えられる「鉄鐔 永楽銭据文銀象嵌(てつつば えいらくせんすえもん ぎんぞうがん)」という文化財もあり、現在は滋賀県立安土城考古博物館に寄託されています。また、旧裏門は現存しており、東近江市の超光寺の表門として使用されています。
摠見寺は、滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6367に位置しています。安土城跡の一角にあるため、歴史散策の一環として訪れることができます。
摠見寺へは、JR東海道本線(琵琶湖線)の安土駅から徒歩約20分でアクセス可能です。また、レンタサイクルを利用すれば約10分、タクシーでは約7分で到着します。
摠見寺の入山料は大人700円、小人(小・中・高)200円です。また、本堂特別拝観は1,200円で、2009年4月から日曜・祝日のみ開堂しています(雨天時は除く)。
摠見寺を訪れる際には、近隣にある「安土城天主信長の館」もぜひ訪れてみてください。織田信長と安土城に関する資料が展示されており、信長の歴史により深く触れることができます。
また、「安土町城郭資料館」も、安土城跡の歴史を学ぶには最適な場所です。摠見寺と合わせて訪れることで、安土城とその周辺の歴史についてより理解を深めることができます。
摠見寺は、織田信長ゆかりの寺院として、その歴史や文化財が非常に貴重な存在です。歴史好きな方や、安土城跡を訪れる観光客にとっては必見のスポットです。歴史を感じながら、美しい自然に囲まれた摠見寺をぜひ訪れてみてください。