石馬寺は、滋賀県東近江市五個荘石馬寺町にある臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は御都繖山(ぎょとさんざん)であり、本尊は十一面千手観世音菩薩です。石馬寺は、その歴史と文化財により、訪れる者に深い感銘を与える場所となっています。
石馬寺の歴史は、推古天皇2年(594年)にまで遡ります。伝承によれば、聖徳太子が仏法興隆を祈り、霊地を求めて当地を訪れた際に、彼の乗っていた馬が突然進まなくなりました。聖徳太子はその場所を御都繖山と名付け、寺を建立したと伝えられています。この時、太子の馬は石と化し、池に沈んでいったという神秘的な逸話が残されています。
現在でも、山門跡の近くには、聖徳太子の馬が石となったとされる池があり、訪れる人々を迎えます。また、聖徳太子の筆と伝えられる「石馬寺」の木額や、太子の馬上像も所蔵されており、歴史的な価値を感じることができます。
南北朝時代から戦国時代にかけて、石馬寺は近江源氏の六角氏に篤く帰依されました。六角氏頼は繖山の南に砦を築き、その後、観音寺城へと発展しました。しかし、永禄11年(1568年)に織田信長と六角義賢の間で観音寺城の戦いが勃発し、石馬寺は戦火に巻き込まれて伽藍が全て焼失しました。
その後、信長の庇護を受けて石馬寺は復興し、寺領が拡大されました。しかし、豊臣秀吉の検地政策により、再び寺領と山林を没収される事態に見舞われ、僧徒は退散を余儀なくされました。その後、慶長8年(1603年)に徳川家康により復興が許され、寛永11年(1634年)には徳川家光の上洛に際して、伊庭御殿の建物が移築されて本堂(大方丈)とされました。
石馬寺の本堂は、かつて伊庭御殿として使用されていた建物を移築したものであり、歴史的な建造物としての価値が高いです。また、大仏宝殿は宝物館として機能しており、重要な文化財を多数収蔵しています。
石馬寺には美しい枯山水の庭園があり、「石馬の石庭」として知られています。この庭園は静寂な空間を提供し、訪れる者の心を落ち着ける場所として人気です。
不動堂はかつて行者堂として使用されていた建物で、歴史的な建造物としての価値を持っています。鐘楼もまた、石馬寺の象徴的な建造物の一つです。
石馬寺の伝説に登場する「石馬の池」は、聖徳太子の馬が石化したと伝えられる池です。この池は、寺院の歴史と伝承を物語る重要な場所となっています。
石馬寺には多くの重要文化財や指定文化財が存在しています。その中には平安時代や鎌倉時代の貴重な木造仏像が多数含まれており、これらは日本の仏教美術史においても高い評価を受けています。
石馬寺には、伝・聖徳太子作とされる馬上像や合掌像、また大日如来座像なども収蔵されています。また、飯盛釈迦如来像(高麗仏画)も展示されており、これらは仏教美術の宝といえる作品です。
石馬寺では年間を通じて様々な仏教行事が執り行われています。以下は代表的な行事です。
石馬寺は、様々な霊場巡りの札所としても知られています。
石馬寺へは、JR琵琶湖線能登川駅から「八日市駅行き」のバスに乗り、約7分で到着します。周辺には観光スポットも多く、歴史を感じながらの散策が楽しめます。
石馬寺は、歴史的な背景と文化財に恵まれた名刹であり、その美しい庭園や伝説を持つ池など、見どころが豊富です。また、仏教行事や霊場巡りを通じて、日本の仏教文化に触れることができる場所でもあります。訪れるたびに新たな発見があり、何度でも足を運びたくなる魅力が詰まった寺院です。