八幡山城は、滋賀県近江八幡市に位置する歴史的な城で、羽柴秀次の居城として知られています。八幡山城は「近江八幡城」とも呼ばれることがあり、その立地や歴史的背景から多くの観光客が訪れるスポットとなっています。八幡山城跡は現在、滋賀県の文化財として保存され、観光地としても整備されています。
八幡山城は近江八幡駅から北西へ約2.5kmに位置し、標高283mの独立丘「鶴翼山」(通称:八幡山)の南半分の山上に築かれた山城です。この城は1585年(天正13年)に豊臣秀次によって建設され、城下町は安土城の城下町を移設して形成されました。この急峻な地形に建てられた八幡山城は、かつて安土城と同様の湖や平野部に囲まれた要塞都市としての役割を果たしていました。かつて、城下町の一部は八幡堀や日牟禮八幡宮とともに、近江八幡市の「八幡伝統的建造物群保存地区」として選定されています。
八幡堀は琵琶湖の水を引いて作られた堀で、戦闘の防御手段としてだけでなく、物流のための運河としても機能していました。1970年代には埋め立てて公園や駐車場にする計画が立てられましたが、地元の住民運動によって保存され、現在では時代劇の撮影などにも使用される観光名所となっています。
2017年(平成29年)4月6日、八幡山城は「続日本100名城」(157番)に選定され、歴史的価値が再評価されました。
1582年の本能寺の変以降、安土城が焼失し、清洲会議で再建が決定されましたが、1583年の賤ヶ岳の戦い後、豊臣秀吉が天下を掌握すると、安土城の代わりに八幡山城が築かれました。八幡山城は安土城に替わる近江国の拠点として、秀吉自らが普請を指揮しました。秀次はこの城を居城とし、安土城下町も移設されましたが、秀次は1590年に尾張国清洲城へ移封され、八幡山城は京極高次に引き継がれました。しかし、1595年に発生した「秀次事件」により、築城からわずか10年で八幡山城は廃城となりました。
1582年の本能寺の変以降、近江国では政情が変動し、安土城が廃城となりました。その後、豊臣秀吉の天下統一に向けた戦略の一環として、1585年に豊臣秀次が八幡山城を築城しました。秀吉は八幡山城を近江国の国城と位置づけ、城の建設を自ら指揮しました。安土城から城下町を移築し、豊臣政権の軍事的・経済的要所としての重要性を持たせました。
秀次は18歳で八幡山城に入りましたが、1590年に尾張国の清洲城へ移封されました。その後、京極高次が八幡山城に入りましたが、1595年に秀次が切腹した「秀次事件」が発生し、八幡山城は築城からわずか10年で廃城となりました。現在、八幡山城の跡地には、秀次の母であり豊臣秀吉の姉でもある日秀尼が開基した瑞龍寺が移転されています。
八幡山城の城郭は、山頂部の山城と山麓に配置された居館部分に大きく分かれています。この分離した構造は、戦国時代の城郭に多く見られますが、近世の城郭では珍しい形態です。この構造は、小牧・長久手の戦い後の徳川家康との緊張関係を背景にしており、東国に対する防衛拠点として機能していました。
山城部分は総石垣作りで、本丸、二の丸、北の丸、西の丸、出丸が放射状に配置され、それぞれが高い石垣で囲まれています。本丸には虎口(防御用の門)があり、現在は瑞龍寺の門が本丸虎口として使用されています。また、天守台もあり、かつては天守がそびえていたと推定されています。本丸や二の丸にはロープウェーが通じており、観光客が訪れることができます。
居館部分は、山の谷地形を利用して築かれた南山麓に位置し、秀次の居館が中心にありました。この居館の石垣は特に大きな石が使われており、豊臣政権の権威を象徴するものでした。発掘調査によると、この居館は東西300m、南北100mにわたる広大な敷地に築かれており、家臣の屋敷も含まれていたと考えられています。
八幡山城の石垣は、南方約4kmに位置する岩倉山から石材が運ばれ、巧みな技術で築かれました。特に、隅石部分には加工された石が用いられ、「算木積み」と呼ばれる技法が採用されています。石垣の傾斜は直線的で反りが少なく、堅固な構造となっています。。
1967年に発生した集中豪雨により、山麓の居館部分で大規模な土砂崩れが発生しました。その後、近江八幡市では史跡としての保存活動が進められ、発掘調査も行われました。現在では、一部の石垣が補修され、観光客が安全に見学できる状態となっています。
八幡山城の石垣は、城全体にわたって多様な積み方が見られます。特に本丸の虎口は、内枡形となっており、防御性が高い構造です。また、石垣の隅部分には算木積みが採用され、加工された石材が使われています。大規模な石垣や虎口の配置は、当時の築城技術の高さを示しています。
八幡山城跡は現在、観光名所として整備され、多くの観光客が訪れる場所となっています。特に、山頂からの景色は絶景で、琵琶湖や城下町の風景を一望できます。また、ロープウェーを利用して簡単に山頂まで登ることができ、観光客にも親しみやすい施設となっています。
八幡山城跡の二の丸には「八幡山ロープウェー」の八幡城址駅が設けられています。ロープウェーは八幡堀から山頂までを結び、約5分ほどで山頂に到着します。このロープウェーは、観光客にとって便利な移動手段であり、山頂の城跡見学や絶景スポットへのアクセスを簡単にしてくれます。
山頂には展望館が設置されており、琵琶湖や近江八幡市の町並みを一望できる絶好のビュースポットとなっています。特に夕暮れ時には美しい景色が広がり、写真撮影にも最適です。また、春には桜が咲き誇り、秋には紅葉が美しいため、四季折々の風景を楽しむことができます。
八幡山城や八幡堀は、その美しい景観や歴史的背景から、多くの時代劇や映画のロケ地として利用されています。特に、江戸時代の風景を再現する場面で使用されることが多く、映画ファンにも人気のスポットです。
八幡山城跡には、豊臣秀次の母である日秀尼が開基した「村雲門跡瑞龍寺」があります。この寺院は1963年に移築され、本丸跡に建てられました。寺院内では、八幡山城の歴史に触れることができ、城跡とともに歴史的な雰囲気を感じることができます。
瑞龍寺の門は、もともと八幡山城の本丸虎口にあった門を移築したものであり、当時の姿を色濃く残しています。また、寺院の中庭からは、往時の城郭の配置をうかがい知ることができ、歴史好きの観光客にとっては見どころの一つとなっています。
八幡山城は、その歴史的背景や築城技術、そして美しい景色で知られる観光名所です。豊臣秀次が築いた城としての歴史的価値だけでなく、琵琶湖を望む絶景やロープウェーを利用した手軽なアクセスも魅力的です。八幡山城跡を訪れることで、戦国時代の歴史に触れ、風光明媚な自然を楽しむことができるため、滋賀県を訪れる際にはぜひ立ち寄りたい場所です。