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滋賀縣護國神社

(しがけん ごこく じんじゃ)

滋賀縣護國神社は、滋賀県彦根市に位置する神社です。主に戊辰戦争から第二次世界大戦までの滋賀県に関連する戦歿者3万4千余柱を祀っており、現在は神社本庁の別表神社に指定されています。

概要

滋賀縣護國神社は、護国神社の一つで、滋賀県に縁のある戦没者の霊を祀るための神社です。その歴史は1869年(明治2年)にさかのぼり、戊辰戦争で戦死した彦根藩士26名の霊を祀るために建てられた招魂碑がその起源です。神社は彦根市の歴史的な一角にあり、地元の人々や観光客が訪れる重要な場所となっています。

歴史

創建の経緯

滋賀縣護國神社の起源は、1869年(明治2年)に彦根の大洞龍潭寺に建てられた招魂碑です。この招魂碑は、戊辰戦争において戦死した彦根藩士26名の霊を慰めるためのものでした。その後、1875年(明治8年)には、元彦根藩主である井伊直憲の主唱により、招魂碑を神社に改造するための政府の通達が出されました。これにより、招魂碑は現在の場所に移され、翌年の1876年(明治9年)には社殿が造営されて鎮座しました。

神社の名称変更

1939年(昭和14年)には内務大臣によって護国神社として正式に指定され、「滋賀県護國神社」に改称されました。しかし、太平洋戦争後の占領期には一時的に「沙々那美神社」と改称されることとなり、神社本庁の別表神社にも加列されました。

元の社名への復帰

日本が主権を回復した1953年(昭和28年)10月には、再び元の「滋賀縣護國神社」という社名に復帰しました。それ以来、現在に至るまで、滋賀県内外の多くの人々が訪れる神社として親しまれています。

境内

神社の境内には、厳かな雰囲気が漂い、さまざまな施設が点在しています。これらの施設は、訪れる人々が戦没者を偲び、祈りを捧げる場所として機能しています。

本殿

滋賀縣護國神社の本殿は、主祭神として戦没者の霊を祀っています。荘厳な造りで、訪れる人々に静かな感動を与えます。

祝詞舎

祝詞舎では、神職が祈祷や祝詞を捧げる場所です。特に慰霊祭や年中行事の際には、神職による儀式が行われます。

拝殿

拝殿は、参拝者が祈りを捧げるための場所です。毎日多くの参拝者が訪れ、戦没者への感謝と平和への祈りを込めて参拝しています。

翼廊

翼廊は、本殿と拝殿を結ぶ回廊で、神社全体の風格を引き立てています。ここを歩くと、歴史的な雰囲気を感じることができます。

滋賀県英霊顕彰館

境内には「滋賀県英霊顕彰館」という施設も併設されています。ここでは、滋賀県に関わる戦没者の功績を伝える展示が行われており、多くの資料や遺品が展示されています。英霊顕彰館は、訪れる人々に戦争の悲惨さと平和の重要性を教えてくれます。

社務所

社務所は、参拝者が御朱印やお守りを受けることができる場所です。また、神社に関する各種の事務がここで行われています。

父の像・母の像

境内には、戦没者の慰霊を象徴する「父の像」と「母の像」が立っています。これらの像は、戦時中に息子を失った両親の悲しみと祈りを象徴しており、訪れる人々に深い感銘を与えます。

前後の札所

滋賀縣護國神社は、井伊家ゆかりの「ふく福めぐり」という札所巡りの一部としても知られています。この札所巡りは、彦根市内に点在する歴史的な寺社や名所を巡るもので、多くの観光客が訪れます。

まとめ

滋賀縣護國神社は、滋賀県に縁のある戦没者を祀る神聖な場所であり、地域の歴史と深く結びついています。歴史的な背景や境内の施設を通じて、戦争の悲惨さと平和の大切さを感じることができる場所です。また、井伊家ゆかりの札所巡りや、周囲の観光スポットとともに訪れることで、さらに充実した観光体験が得られるでしょう。

滋賀縣護國神社を訪れる際は、ぜひその歴史的背景に思いを馳せ、平和への祈りを捧げてみてください。

Information

名称
滋賀縣護國神社
(しがけん ごこく じんじゃ)

彦根・近江八幡

滋賀県