大皇器地祖神社は、滋賀県東近江市君ヶ畑町にある歴史的な神社です。旧社格は村社であり、木地師(きじし)の祖神として知られる惟喬親王(これたかしんのう)を祀っています。この神社は、木地師文化の発祥地としても重要な意味を持っています。
祭神は惟喬親王で、木地師の祖神として崇められています。惟喬親王は、木工技術の発展に大きな貢献をしたとされ、木地師たちから特別な信仰を集めています。神社の神紋は十六菊で、格式高い神社であることが窺えます。
大皇器地祖神社は、898年(寛平10年)に創祀されたと伝わっています。創建当初から、正月・5月・9月には国家の安泰と皇家の繁栄を祈る祈祷符を宮中に納めるという重要な役割を果たしてきました。特に、惟喬親王がこの地に住んでいた際に、小椋信濃守久長と小椋伯耆守光吉に命じて木地の器を作らせたという伝承があり、これにより木地師の根源社とされるようになりました。
この神社は、同じく木地師の根源社である筒井神社とも深い関わりがあります。両社は木地師に対する「氏子狩り」を行い、全国の木地師に対して大きな影響力を持っていました。明治時代には「白雲山小野宮大皇器地祖大明神」とも称されましたが、1882年(明治15年)に現在の社名に改められました。
神社の本殿は、二間社流造(にけんしゃながれづくり)で、間口二間・奥行二間の構造となっています。拝殿は入母屋造(いりもやづくり)で、同じく間口二間・奥行二間です。
境内には、多賀神社と蛭子神社が摂社として鎮座しています。これらの境内社は、地域住民からも長い間大切にされています。
大皇器地祖神社には、滋賀県指定の民俗文化財が多く存在します。その中でも特に注目すべきは「氏子狩帳」です。この帳簿は、木地師に対する氏子狩りに使用されていたもので、木地師文化の歴史を知る上で非常に重要な資料です。また、木地盆(5品)も県指定の民俗文化財として登録されています。
大皇器地祖神社では、毎年いくつかの重要な祭事が行われます。
1月3日と9月9日に行われるこの行事は、木地師たちの信仰を反映した重要な儀式です。木地師が木の器物を奉納し、豊作と商売繁盛を祈願します。
毎年4月の第一日曜日に開催される例祭は、地域住民や参拝者で賑わいます。惟喬親王の功績を称え、神前での祈りが捧げられます。
神社の近くには、惟喬親王が住んでいたとされる高松御所(蔵皇山金龍寺)があり、歴史好きには見逃せないスポットです。また、惟喬親王の御陵もあり、この地域の歴史を感じながら参拝することができます。
大皇器地祖神社へのアクセスは、近江鉄道本線八日市駅からバスを利用し、「永源寺車庫」で下車、その後、ちょこっとバス(政所線)に乗り換え、「君ヶ畑停留所」で下車、徒歩約4分です。
大皇器地祖神社は、惟喬親王の歴史的な足跡をたどることができる神社であり、木地師文化の発祥地としても大変貴重な場所です。豊かな自然に囲まれた神社の境内は、歴史と文化が調和した特別な空間であり、訪れる人々に深い感動を与えます。ぜひ一度、足を運んでその歴史と魅力を感じてみてください。