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鬼室神社

(きしつ じんじゃ)

渡来人・鬼室集斯を祀る神社

鬼室神社は、滋賀県蒲生郡日野町小野に位置し、百済からの渡来人である鬼室集斯(きしつ しゅうし)を祀る神社です。鬼室集斯は『日本書紀』にも登場する歴史的人物であり、その墓碑がここに残されています。この神社は、韓国との国際交流の歴史的シンボルとしても重要な役割を果たしています。

神社の歴史

起源と伝承

鬼室神社の起こりは、正長2年(1429年)にさかのぼります。社殿造営の棟札によれば、尺一道人がこの地に不動堂を建てたことが最初のきっかけです。この不動堂が現在の鬼室神社の前身とされています。また、『興福寺領近江国蒲生郡長寸郷奥津野保左久良十七郷摠絵図』には、「大内蔵人時頼墓」と記載されており、当時の地元では名士の墓とされていました。

その後、文化3年(1806年)、仁正寺藩医の西生懐忠が、不動堂の横にあった八角の石柱を調査しました。この石柱は「人魚塚」と呼ばれていたものですが、懐忠はこれを鬼室集斯の墓碑であると認定しました。この発見によって一時的に参拝ブームが発生しましたが、現地の古老にはこの墓に関する伝承が残っておらず、当時はあまり広く認知されることはありませんでした。

神仏分離と神社の再編

明治時代になると、神仏分離令により不動堂は「西宮神社」と改名され、軻遇突智命(かぐつちのみこと)を祭神としました。さらに、蒲生郡長であった遠藤宗義が調査を行い、『鬼室集斯墓碑考』を著して鬼室集斯の存在を世に知らしめます。これを契機に、鬼室集斯は西宮神社に合祀されました。そして、1950年(昭和25年)に「鬼室神社」と改名され、現在に至ります。

鬼室集斯と墓碑の意義

鬼室集斯とは

鬼室集斯は、7世紀に百済から日本に渡来した人物で、近江国蒲生郡に移住したと『日本書紀』に記されています。彼は百済の貴族の一員であり、その父である鬼室福信は、現在の大韓民国扶餘郡恩山面にある恩山別神堂に祀られています。この歴史的背景をもとに、日野町と恩山面は1990年に姉妹都市協定を結び、今日まで交流を続けています。そのため、神社内の案内板や標識には韓国語が併記されており、国際交流のシンボルとしての役割も担っています。

墓碑の真贋について

鬼室集斯の墓碑の真贋については、学者の間で議論が続いています。胡口靖夫の『近江朝と渡来人 - 百済鬼室氏を中心として』によると、いくつかの点からこの墓碑は後世に造られた可能性が指摘されています。例えば、古代の墓碑に見られる表記とは異なる表現が用いられていることや、墓碑の形状や刻まれた年代が平安時代以降のものであることなどが挙げられています。

また、『大安寺資財録抜書』によれば、現在の滋賀県野洲市大篠原にも鬼室集斯の墓が存在したとされています。これらの異なる伝承や記録があるため、鬼室集斯の墓碑の真贋に関しては完全には解明されていません。しかしながら、神社が鬼室集斯を祀っているという事実自体が、国際交流において重要な意味を持ち続けています。

文化財としての価値

墓碑の材質と特徴

鬼室集斯の墓碑は、地元で産出される黒雲母花崗岩で作られています。この地域特有の石材を使用したことが、墓碑の保存状態の良さに寄与しています。墓碑の形状は八面体で、これは平安時代から鎌倉時代にかけての特徴とされ、墓碑の年代についても学者の間で議論が分かれていますが、室町時代に造立された可能性が高いとされています。

国際交流と現代の鬼室神社

日韓の交流の拠点として

鬼室神社は、鬼室集斯を通じて日本と韓国の歴史的なつながりを象徴する神社として、今日までその役割を果たしています。1990年に日野町と恩山面が姉妹都市協定を結んだことで、両国の交流はさらに深まり、現在も文化的なイベントや交流活動が行われています。

このように、鬼室神社は単なる歴史的な神社であるだけでなく、現代においても国際交流の場として重要な役割を担っています。神社の案内板にはハングルが併記されており、韓国からの観光客にも対応した情報提供が行われている点が特徴的です。

アクセス情報

公共交通機関を利用する場合

鬼室神社へ訪れる際には、公共交通機関を利用することが可能です。最寄り駅はJR東海道本線(琵琶湖線)および近江鉄道八日市線(万葉あかね線)の近江八幡駅です。ここから近江鉄道バス(北畑口行き)に乗り、桜川駅停留所で下車します。桜川駅停留所からは日野町営バス(原行き)に乗り継ぎ、鬼室神社前停留所で下車すると、徒歩ですぐに到着します。

車を利用する場合

車でのアクセスも可能で、近隣には駐車場も用意されています。滋賀県内をドライブする際には、ぜひ鬼室神社を訪れ、その歴史と文化を体感してください。

まとめ

鬼室神社は、百済からの渡来人である鬼室集斯を祀る重要な神社であり、日韓両国の歴史的なつながりを象徴する場所です。古代からの伝承と墓碑をめぐる学術的議論は続いていますが、その真贋にかかわらず、神社が地域および国際交流の場として果たす役割は大きなものがあります。歴史と国際交流の両面から、鬼室神社は訪れる価値のある場所です。

Information

名称
鬼室神社
(きしつ じんじゃ)

彦根・近江八幡

滋賀県