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鹽津神社

(しおつ じんじゃ)

鹽津神社(塩津神社)は、滋賀県長浜市西浅井町塩津浜に鎮座する歴史ある神社です。この神社は、地域の歴史と文化を深く刻む存在であり、古くから地元の人々に愛され、崇敬されています。この記事では、鹽津神社の概要、歴史、祭祀、境内の建物について詳しく紹介します。

神社の概要

鹽津神社は、滋賀県長浜市西浅井町塩津浜に位置し、主祭神として塩土老翁神を祀っています。また、配祀神として彦火火出見尊豊玉姫尊が祭られています。神紋は「三ッ巴」です。地域の歴史と深く関わりを持ち、地元の信仰の中心として多くの人々が訪れます。

所在地

滋賀県長浜市西浅井町塩津浜

鹽津神社の歴史

鹽津神社の創建年代は不詳ですが、『延喜式神名帳』に記載されている式内社「鹽津神社」の論社の一つとされています。明治9年(1876年)には村社に指定され、さらに明治17年(1884年)には郷社に昇格しました。また、平成20年(2008年)には、近隣の塩津浜遺跡で出土した5体の神像が、この神社との関わりを示唆しており、さらなる研究が期待されています。

鹽津神社の起源と由来

伝説によれば、古代のこの地「志波谷」には塩水が湧き出る小さな池が存在し、地元の人々がその水を使って製塩業を行っていたとされています。この塩水の恩恵に感謝するため、地元の人々は遠祖である塩土老翁神を祀り、後に縁のある神々である彦火火出見尊と豊玉姫尊も合わせて祀るようになりました。

社殿と神社の変遷

鹽津神社は、長い歴史の中で何度か社殿の改修が行われています。特に中世以降は、縉紳顕門の来遊もあり、当社は多くの人々に崇敬されました。和気仲世が近江呂介に任ぜられた際には、数度の参籠を行い、霊示に従って境内に誉田別尊を祀り、境外には瀬織津姫尊を奉祀しました。

足利義詮の参拝と社殿修復

文和元年には、足利高氏の子である義詮が後光厳天皇を奉じて鹽津神社を訪れ、当地の有力者である熊谷兵庫直高や治左衛門尉直久が協力して社殿の修復に尽力しました。しかし、元亀元年には火災により社殿が焼失してしまいました。

明治時代の再建と改称

嘉永年間には、伏見稲荷神社から分霊を勧請し、相殿に祀り「居成明神」とも称しました。しかし、明治5年には稲荷の神霊を別の場所に移し、社名を「塩津神社」に復称しました。その後、明治9年に村社、明治17年に郷社に昇格しました。また、昭和43年には神饌幣帛料供進神社として指定されました。

境内と建物

鹽津神社の境内には、歴史的な建物がいくつか存在し、訪れる人々にその古き良き時代の雰囲気を感じさせます。以下に、主要な建物について説明します。

本殿

鹽津神社の本殿は一間社流造で、間口は一間一尺、奥行きは五尺五寸です。この本殿は、神社の中心であり、主祭神を祀る重要な場所です。

拝殿

拝殿は入母屋造で、間口三間三尺、奥行き三間三尺の規模を誇ります。訪れる人々はこの拝殿で参拝し、神社の神々に祈りを捧げます。

境内社

境内には、いくつかの摂社や末社があり、以下の神社が含まれています。

鹽津神社の祭祀と行事

鹽津神社では、毎年4月18日に例祭が行われます。この祭りは地域の伝統行事であり、多くの参拝者が訪れる時期でもあります。また、その他の祭事も年間を通じて行われており、地元の人々にとって重要な文化イベントとなっています。

鹽津神社と地域の文化

鹽津神社は、かつて「海北之宮」とも呼ばれており、地域の海運や漁業と深く結びついていました。地元の歴史や文化を理解するためには、この神社の存在は欠かせません。また、近隣には塩津浜遺跡があり、神社と関連する考古学的な研究も進められています。

アクセスと観光情報

鹽津神社へのアクセスは、滋賀県長浜市の中心部から車で約30分です。公共交通機関を利用する場合は、最寄りのバス停から徒歩で訪れることができます。また、近隣には観光スポットや宿泊施設もあり、神社を訪れた後には地域の魅力を楽しむことができます。

観光のおすすめポイント

鹽津神社は、静かな自然環境に囲まれており、季節ごとに美しい風景を楽しむことができます。特に春には桜が咲き誇り、秋には紅葉が美しいです。また、神社の周辺には歴史的な名所や自然景観が広がっており、観光客にとっても魅力的なスポットです。

まとめ

鹽津神社は、滋賀県の歴史と文化を象徴する神社であり、地域の人々にとって大切な存在です。その古い歴史や美しい建築物、そして豊かな自然環境は、多くの観光客にとっても魅力的です。ぜひ、訪れてみてください。

Information

名称
鹽津神社
(しおつ じんじゃ)

長浜・米原

滋賀県