柏原宿は、現在の滋賀県米原市に位置し、かつては近江国坂田郡に属していた中山道の60番目の宿場町です。江戸時代の五街道のひとつである中山道の宿場として、多くの旅人や商人が行き交う賑わいを見せていました。この宿場町には、特産品である艾(もぐさ)を扱う店が並び、最盛期には10軒以上の艾屋があったと伝えられています。
柏原宿の歴史は『太平記』にも記されているように、中世以来の歴史ある宿場として知られています。江戸時代に入ると、中山道の宿場町として整備され、次第に栄えるようになりました。中山道は京都から江戸へ向かう重要な街道であり、柏原宿もその一部として旅人や物資の往来に大きな役割を果たしました。
天保14年(1843年)に作成された『中山道宿村大概帳』によると、柏原宿には344軒の家があり、宿内の人口は1,468人でした。宿場内には、本陣1軒、脇本陣1軒、そして22軒の旅籠が存在し、多くの旅人が宿泊していました。現在もその歴史的な街並みを感じられる場所が多く残っています。
現在、柏原宿を訪れるにはJR東海道本線の柏原駅が最寄り駅となっています。鉄道でアクセスできるため、現代の観光地としても訪れやすい場所です。
柏原宿には、歴史的価値の高い建物や文化財が多く残されています。ここでは、訪れる際にぜひ見ておきたい史跡や見どころを紹介します。
高札場跡は、江戸時代に幕府からの法令やお触れが掲示されていた場所です。当時の生活や治安維持のための重要な情報がここで伝えられていました。
寛文元年に創業された「伊吹堂亀屋佐京商店」は、柏原宿における艾の老舗として知られています。ここでは、伝統的な伊吹もぐさが販売されており、古くからの製法が守られています。歴史とともに受け継がれてきた品質の高い商品を手に入れることができます。
柏原宿の歴史や文化について学べる「柏原宿歴史館」も観光スポットのひとつです。入館料は大人300円、小人100円で、宿場の歴史や文化財に関する展示がされています。柏原宿の成り立ちや役割について理解を深めることができ、訪れる価値があります。
成菩提院は、最澄によって開基されたと伝えられる古寺で、室町時代に貞舜が再興しました。その後、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などから庇護を受け、国の重要文化財に指定されている仏画など多数の文化財を所蔵しています。歴史ある建築とともに、信仰の場としても多くの人々が訪れています。
徳源院は、近江を拠点とした戦国大名・京極氏の菩提寺として有名です。歴史的にも貴重な建物であり、その静かな雰囲気は訪れる人々に安らぎをもたらします。
柏原宿には、北畠具行の墓もあります。彼は後醍醐天皇に仕え、倒幕の議に参画しましたが、計画が発覚し、この地で斬首されました。歴史上の重要人物である彼の墓は、柏原宿の歴史を物語る一つの象徴です。
本陣は、江戸時代の宿場町において大名や幕府役人が宿泊するための施設です。柏原宿には本陣跡が残されており、当時の宿場町の様子を偲ぶことができます。
柏原宿は、多くの歴史的な人物とゆかりのある地でもあります。ここでは、柏原宿に縁のある主な人物について紹介します。
北畠具行は、後醍醐天皇に仕え、倒幕運動に関わった人物です。しかし、計画が発覚してこの地で斬首されました。彼の墓は柏原宿にあり、倒幕運動の歴史を今に伝えています。
1868年1月17日、赤報隊を率いて柏原宿に滞在した相楽総三もゆかりの人物の一人です。中山道を東に向かい、歴史的な出来事の一部を担った彼の足跡が残されています。
松浦吉松は、柏原宿出身の貿易商で、江戸時代から続くもぐさ屋に生まれました。彼は近江商人として京都で修行した後、横浜で松浦貿易店を開業し、さらには日露戦争後にロシアへ進出しました。松浦商会を設立し、ハルビンの中央大街で百貨店を経営するなど、満州において「松浦洋行」として成功を収めました。また、南米では藤崎三郎助と組んで「藤松組」を設立し、アルゼンチンでの貿易事業を手がけるなど、国際的な活躍を果たしました。
柏原宿から東へ進むと、他の中山道の宿場町や観光スポットが点在しています。周辺の史跡も訪れてみると、さらに深くこの地域の歴史や文化を楽しむことができます。
柏原宿の次に位置する中山道の61番目の宿場町が「醒井宿」です。醒井宿には美しい湧水があり、旅人たちが喉を潤した場所として知られています。現在でも水の町として親しまれ、観光地として人気があります。
さらに進むと、中山道の62番目の宿場町である「番場宿」があります。番場宿も歴史的な街並みが残っており、江戸時代の雰囲気を感じることができる場所です。