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向源寺

(こうげんじ)

向源寺は、滋賀県長浜市高月町渡岸寺に位置する真宗大谷派の寺院で、その山号は紫雲山です。この寺院は、国宝に指定されている十一面観音像を所蔵していることで有名です。この観音像は、向源寺に属する渡岸寺観音堂(どうがんじかんのんどう)に安置されています。

歴史

創建の由来と祈祷

向源寺の歴史は、古い時代にさかのぼります。『近江伊香郡志』によると、天平8年(736年)に都で疱瘡が流行した際、聖武天皇が泰澄に病除けの祈祷を命じたことが始まりとされています。泰澄はこの命を受け、十一面観世音を彫り、光眼寺を建立しました。そして、息災延命や万民豊楽を祈る祈祷を行い、その結果として疫病は収まりました。このことから、病除けの霊験あらたかな観音像として、信仰を集めるようになったといわれています。

延暦寺と七堂伽藍の建立

延暦9年(790年)、比叡山延暦寺の開祖である最澄が勅命を受け、向源寺に七堂伽藍を建立しました。この頃から、寺院としての基盤がよりしっかりと整備されたとされています。

戦火と再建

元亀元年(1570年)に起こった浅井・織田の戦火により、向源寺の堂宇は焼失してしまいました。しかし、観音像を信仰していた住職の巧円や周辺の住民は、観音像を土中に埋めて保護し、その難を逃れました。その後、巧円は浄土真宗に改宗し、光眼寺を廃寺として向源寺を新たに建立しました。

明治期の調査と国宝指定

明治21年(1888年)、宮内省全国宝物取調局の九鬼隆一らが向源寺の十一面観音像を調査し、その高い霊威と美しさが称賛されました。明治30年(1897年)12月28日には、この十一面観音像が古社寺保存法に基づいて日本で最初の国宝に指定されました(当時の「国宝」は、現在の重要文化財に相当)。向源寺が真宗大谷派に属しているため、本堂に阿弥陀如来以外の仏像を祀ることは通常認められませんが、この十一面観音像については特別な許可が与えられています。

観音堂の再建と新たな国宝指定

大正14年(1925年)、平安時代の建築様式を取り入れた観音堂が再建されました。そして、昭和17年(1942年)には、宗教団体法に基づき、観音堂は正式に向源寺の飛地境内として認められました。その後、昭和28年(1953年)には、文化財保護法に基づいて十一面観音像が再度国宝に指定されました。この国宝像は、現在も高月町国宝維持保存協賛会の理事たちが交代で日々管理に当たっています。

十一面観音立像

像の特徴と由来

向源寺に属する渡岸寺観音堂には、国宝である十一面観音立像が安置されています。寺伝によれば、この像は泰澄の作とされていますが、実際の制作年代は平安初期の9世紀と考えられています。像高は194cmで、檜材の一木彫です。

姿勢と造形の美しさ

像は蓮華座上に立ち、左脚を支脚、右脚を遊脚として軽く腰をひねる姿勢をとっています。右腕は掌を前に向けて垂下し、左腕は胸の高さで水瓶を持っています。この造形は、インドや西域の影響を感じさせるもので、均整のとれた体躯や豊かな肉取りが印象的です。

頭上面とその特色

十一面観音像は通常、頭上に11の面を表します。本像の場合、本面の左右に大きく瞋怒面と狗牙上出面が表され、天冠台上には菩薩面、瞋怒面、狗牙上出面が各2面、背面には大笑面が表されています。頂上面は、一般的な仏面とは異なり、五智宝冠を戴いた菩薩形をしている点が特徴です。

文化的影響と評価

この十一面観音像は、日本における観音像の代表作として知られ、文学作品や映画にも取り上げられています。特に、東宝映画「幻の湖」では、主人公がこの観音像を拝観するシーンが描かれています。像の持つ深い宗教的な意義と美しさは、多くの人々に感銘を与え続けています。

向源寺の文化財

国宝

重要文化財

滋賀県指定有形文化財

交通アクセス

向源寺へのアクセスは、JR北陸本線の高月駅から徒歩約10分です。また、拝観者用の無料駐車場やバス用の無料駐車場も完備されていますので、車での訪問も便利です。

まとめ

向源寺は、その歴史的背景と文化財の数々から、多くの人々に愛され続けています。特に、国宝に指定されている十一面観音像は、日本の仏教美術を代表する作品として国内外から高い評価を受けています。観音像に込められた深い宗教的な意義と、その美しさを感じるために、ぜひ一度訪れてみてください。

Information

名称
向源寺
(こうげんじ)

長浜・米原

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