醒井宿は、近江国坂田郡にあった中山道(中山道六十九次)の61番目の宿場で、現在の滋賀県米原市醒井に位置します。2015年(平成27年)4月24日、文化庁の「日本遺産」として認定された「琵琶湖とその水辺景観 - 祈りと暮らしの水遺産」の構成文化財にも選ばれました。
醒井の地名の由来は、『古事記』の「居寤の清泉(いさめのしみず)」や『日本書紀』の「居醒井(いさめがい)」に登場するヤマトタケル伝説に基づいています。この地域は古くから交通の要衝であり、東西を結ぶ中山道の宿場町として栄えました。歴史書や詩歌にも登場し、多くの旅人がその地を訪れ、清らかな湧水を愛でました。
醒井は中世から宿駅としての役割を担ってきました。鎌倉時代の日記『東関紀行』や、阿仏尼の『十六夜日記』、室町時代の二条良基の『小島のくちずさみ』など、多くの紀行文や詩歌にその名が登場します。「陰暗き木の下の岩根より流れ出づる清水」という表現で知られるこの地の湧水は、旅人たちにとって涼を求める場所として有名でした。
江戸時代、醒井宿は中山道の宿駅として整備されました。徳川家康による中山道の整備によって、慶長7年(1602年)に正式な宿場としての機能を持つことになりました。天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によると、醒井宿には138軒の家があり、そのうち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠が11軒ありました。
宿場の家数は享保9年(1724年)には187軒、享和元年(1801年)には24軒の旅籠がありましたが、天保14年の調査では11軒に減少しています。人口も539人(男266人、女273人)と記録されています。醒井宿には、宿場町の運営を支えるための様々な役職が存在し、問屋や年寄、馬指(うまさし)などの役人が交代で業務を担当しました。
醒井宿の本陣と脇本陣は中町に位置し、旅人が利用する施設として重要な役割を果たしていました。また、町内には問屋場が複数あり、中山道や東海道を通じて一番多くの問屋場が集まる宿場としても知られていました。
宿場町としての醒井では、医師やはり師、家大工、桶大工、紺屋などの職業も営まれていました。多くの住民は農業と兼業しながら、伝馬役や旅籠に従事していました。また、酒造業や菓子屋、銭屋といった商業も盛んであり、旅人をもてなすための食や飲み物の提供も行われていました。
1889年(明治22年)4月の町村制施行により、醒井は坂田郡醒井村の一部となり、1956年(昭和31年)9月には米原町に合併しました。2005年(平成17年)には山東町や伊吹町とともに米原市となり、現在も多くの歴史的建造物や風景が残されています。
醒井宿の南東に位置する霊仙山から湧き出る水は、町中を流れる地蔵川に注がれ、その清らかさで知られています。地蔵川の水は一年を通して温度が一定で、夏には涼を求める人々が訪れる場所となっています。ヤマトタケル伝説に基づく「居醒の清水」としても知られ、訪れる人々の心を癒やす存在です。
江戸時代の浮世絵師、歌川広重が描いた「木曽海道六十九次」の「醒ヶ井」も、醒井宿の美しい風景を伝えています。広重の作品には、旅人たちが清水で休憩する様子が描かれており、当時の醒井の賑わいがうかがえます。
醒井宿の町並みは、古き良き時代の宿場町の風情を残しています。地蔵川沿いに続く木造家屋や石畳の道は、歴史を感じさせる風景です。特に夏場には、地蔵川に咲く梅花藻(ばいかも)が見頃を迎え、その清らかな流れの中で白い花が咲く光景は、多くの観光客を魅了します。
醒井宿を訪れる際には、まず地蔵川沿いを歩き、名水「居醒の清水」を目指しましょう。古民家や宿場町の面影を残す建物を眺めながら歩くと、歴史と風情を感じることができます。また、梅花藻が咲き誇る夏の季節は特におすすめです。
醒井宿では、地元の歴史や文化を感じられるイベントも開催されています。例えば、伝統工芸の体験や、地元の食材を使った料理教室など、観光客に喜ばれる内容が盛りだくさんです。また、地元の祭りやイベントも、訪れる人々に特別な思い出を提供しています。
加茂神社は創祀の年代は不明ですが、名称の由来は天野川の加茂の淵にあったことに起因しています。江戸時代には「加茂大明神」と称され、祭神には賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)と応神天皇が祀られています。名神高速道路建設に伴い1959年に拝殿や手水舎が解体・移設され、現在は居醒の清水の真上に位置しています。
加茂神社の境内には、日本武尊像があり、これはかつての不断桜が枯死した跡に建立されたものです。この不断桜は10月から12月にかけて開花し、1878年には明治天皇が訪れた際に満開でした。「醒井の不断ザクラ」として1930年に国の天然記念物に指定されていましたが、枯死したため1973年に指定解除されました。
居醒の清水は地蔵川の源流となる湧水であり、一日約1.5万トンの水が湧き出ています。水温は12.3-15.0度を保ち、常に澄んだ清水を供給しています。この名水の由来は『古事記』や『日本書紀』に記されており、ヤマトタケルが伊吹山の荒神との戦いで力尽きた際に、この清水で回復したことに由来します。
居醒の清水は「平成の名水百選」にも選ばれており、「三水四石の名跡」としても知られています。「三水」とは、居醒の清水、十王水、西行水を指し、「四石」には腰掛石、鞍懸石、蟹石、影向石が含まれます。腰掛石は日本武尊が腰を掛けた石であり、蟹石には伝承が残されています。
醒井地蔵堂は慶長年間(1596-1615年)に建立され、大垣藩主石川家成が病気治癒の感謝を表して建てたとされています。1889年に現在の宝形造の堂が建立され、1990年には大改修が行われました。
この堂には「延命地蔵尊」が安置され、鎌倉時代に作られた石造の地蔵菩薩坐像です。伝説によると、最澄が祈祷した際に薬師如来の示現があり、居醒の清水に訪れると現れた老人の導きにより地蔵尊が安置され、大雨が降って旱魃が収まったと言われています。この地蔵菩薩坐像は市指定文化財となっています。
醒井木彫美術館は、上丹生出身の彫刻家森大造やその先人彫刻家の作品を展示する美術館として2002年に開館しました。この地域は「木彫りの里」としても知られ、文化年間に京都で木彫刻を学んだ彫刻家が戻ってきたことで木彫の文化が発展しました。
醒井公会堂は1936年に建設された建物で、和洋折衷の意匠が特徴的な昭和初期の建築物です。国の登録有形文化財として指定されています。
醒井宿にはかつて7軒の問屋がありましたが、その一つである川口家住宅が現存し、現在は醒井宿資料館として使用されています。この建物は江戸時代前期に建てられ、市指定文化財にもなっています。
了徳寺のオハツキイチョウは、葉の主脈に銀杏をつける特異なイチョウの木で、樹齢200年以上とされています。1929年には国の天然記念物に指定されており、今も醒井の名所として人々に親しまれています。
十王水は醒井大橋付近の山麓から湧き出る清水で、かつて近くに十王堂があったことからその名がつけられました。この湧水は平安時代の僧・浄蔵によって発見されたと言われ、「浄蔵水」とも呼ばれています。
西行水は平安時代に僧・西行が訪れた際に発見したと伝えられる湧水で、西行が残した茶を飲んだ娘が懐妊し、産まれた子供が泡に戻ったという伝説があります。この場所には「泡子塚」という石塔があり、訪れる人々の興味を引いています。
旧醒井郵便局舎は、かつて醒井郵便局として使われていた擬洋風建築物で、ウィリアム・メレル・ヴォーリズによって設計されたとされています。1915年に建てられ、1999年から2000年にかけて修復され、現在は醒井宿資料館として使用されています。
醒井の周辺には数々の歴史的な史跡と見どころがあります。その代表的なものとして、「醒井七湧水」があり、地域の水資源として長い歴史を持つ湧水です。ここでは、各湧水や観光地について詳しく紹介します。
平安時代に形成された醒井の「三水」として知られる「居醒の清水」、「十王水」、「西行水」に加え、周辺には「天神水」、「いぼとり水」、「役行者の斧割り水」、「鍾乳水」といった湧水が点在し、これらを総称して「醒井七湧水」と呼ばれています。
天神水は、醒井地区の南側にある枝折(米原市枝折)に位置する湧水です。近くに天満神社があり、菅原道真が祀られていることから、「知恵の水」とも称され、知恵や学業の向上を願う参拝者が訪れます。
この湧水は、丹生川沿いの上丹生(米原市上丹生)に位置し、「イボが取れる」との伝承があることで知られています。また、平安時代中期の天台座主13世である尊意が生まれた地ともいわれ、「法性坊の初洗いの水」として伝えられています。
上丹生の松尾寺山にある松尾寺跡付近に湧く水で、役行者が開山の際、弟子に斧で岩を割らせたところ水が湧き出たという伝承があり、「延命長寿の水」として崇められています。湧水自体には近づけませんが、醒井養鱒場近くにある松尾寺の店舗「醒井楼」の傍らでその水が引かれています。
霊仙山の鍾乳洞を水源とする宗谷川の源流であり、環境保護のため一般公開されていませんが、その清水は醒井養鱒場に引かれています。
霊仙山の伏流水により形成された宗谷川の上流には、風光明媚な醒井峡谷があります。四季折々の景色が楽しめる場所として、特にサクラの季節や紅葉のシーズンには多くの観光客が訪れ、1941年には国の名勝に指定されています。
1878年に琵琶湖固有種であるビワマスの増殖を目的に設立された孵化場で、日本最古のマス類養殖施設として知られています。1879年には現在の場所に移設され、ニジマスやアマゴ、イワナなども養殖されています。
松尾寺は役小角(役行者)によって開かれ、十一面観音が飛来した「飛行観音」が本尊として祀られていました。1981年の豪雪で本堂が倒壊し、2012年に山麓へ再建されました。
鎌倉時代、弘安6年(1283年)に作られたこの鰐口は、かつて尾張国海西郡三腰の極楽寺にありました。現在は国の重要文化財に指定されています。
平安時代(11世紀)の聖観音菩薩立像は市指定文化財であり、観光客や信者に崇敬されています。
松尾寺跡には、多くの歴史的な遺構や文化財が残されています。
鎌倉時代の文永7年(1270年)に建てられた高さ5.11メートルの九重塔で、国の重要文化財に指定されています。
参詣道には、1町(約108メートル)ごとに設置された道標が32基残されています。市の文化財に指定されており、参道の趣が感じられる場所です。
醒井宿は、柏原宿から約5.9キロメートル、番場宿から3.9キロメートルの距離にあり、歴史的な宿場として訪れる価値のある場所です。
梓川(あずさがわ)沿いには12本の古木が残っており、街道の名残を感じさせる景観が広がります。
梓地区には小川関碑があり、これは壬申の乱の「息長横川」とも関連があるとされています。
一色地区には一里塚跡があり、中山道の名残をとどめています。
醒井宿の東にある高台「鶯ヶ端」は、かつて旅人が休憩する場所として親しまれた場所です。平安時代の歌人・能因の歌に詠まれたことでも知られています。
坂の東には、荷運びのウマの安全を祈願する馬頭観音碑が設置されています。
丹生川橋の東にある「一類孤魂等衆」碑は、旅の途中で亡くなった旅人を供養するために建てられた碑です。涙を誘う伝説が残されています。
樋口は醒井宿と番場宿の間にあった立場で、霊仙山からの清水が流れ、道行く旅人の癒しの場となっていました。
街道の南に位置する八坂神社には、鎌倉時代に建てられた九重石塔があり、市指定文化財となっています。
JR東海道本線「醒ケ井駅」から徒歩約5分(500~600メートル)です。
北陸自動車道「米原インターチェンジ」から東へ約2.5キロメートルに位置しています。駐車場は「醒井水の宿駅」や醒ケ井駅に設けられています。
醒井宿は、その豊かな歴史と美しい自然環境に恵まれた観光地として、訪れる人々に癒しと感動を提供しています。中山道の宿場町として栄えた時代の面影を残しつつも、現代の観光地としても魅力的な醒井宿で、歴史の息吹と自然の美しさを楽しんでみてはいかがでしょうか。