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国友鉄砲ミュージアム

(くにとも てっぽう)

国友鉄砲ミュージアム(国友鉄砲の里資料館)は、滋賀県長浜市にある火縄銃専門の博物館です。この資料館は、戦国時代から江戸時代にかけて鉄砲の生産地として栄えた「国友」という地域の歴史と、火縄銃の製作に携わった職人たちの技術を紹介するため、1987年10月10日に開館しました。

館内では国友鉄砲(火縄銃)や鍛冶道具の展示が充実しており、鉄砲がどのように作られていたのか、その歴史を知ることができます。また、国内外の火縄銃ファンが訪れることで知られ、世界的な人気を誇るミュージアムでもあります。

国友の歴史的背景

国友村は、豊臣秀吉が築いた長浜城から北東約5km、姉川に沿った場所に位置しており、戦国時代から鉄砲生産地として繁栄してきました。古代から鍛冶技術が存在し、北国街道を通じて多くの武将が訪れ、鉄砲製造が発展したと言われています。鍛冶職人たちは、鉄砲の銃身や銃床、引金部分の製作を分業化し、効率的に大量生産する体制を築きました。

館内の展示内容

1階の展示

1階映像室では、6面マルチスクリーンによる「国友の歴史映像」が上映され、訪問者は国友の鉄砲文化についての概要を視覚的に学ぶことができます。また、展示室には大筒や火縄銃など、貴重な武器が数多く展示され、鉄砲鍛冶職人たちの技術と歴史を間近に感じることができます。

2階の展示

2階展示室では、鉄砲の鍛冶道具や職人の仕事場を再現したジオラマが展示されています。さらに、江戸時代の発明家であり、「東洋のエジソン」とも称される国友一貫斎が製作した望遠鏡も展示されています。火縄銃を実際に持ってみる体験コーナーもあり、訪問者は鉄砲の重さや質感を体験することができます。

国友鉄砲の技術と特徴

国友で製作された鉄砲は、他の地域のものと比べていくつかの特徴があります。以下のような点で国友鉄砲は高く評価されています。

鉄砲伝来と日本への影響

鉄砲が日本に初めて伝来したのは、天文12年(1543年)のことで、種子島に漂着した中国船に乗っていたポルトガル人が2挺の鉄砲を伝えました。この技術は、すぐに国友や堺、根来などで取り入れられ、鉄砲製造が本格化します。特に国友では、次郎助という鍛冶職人がネジの技術を開発し、大量生産が可能となりました。

戦国時代の鉄砲の役割

鉄砲は戦国時代において重要な武器であり、特に元亀元年(1570年)の姉川合戦や、天正3年(1575年)の長篠の戦いで活躍しました。長篠の戦いでは、織田信長が3,000挺の鉄砲を使用し、その内500挺が国友で製造されたものだったとされています。この戦いを機に、戦略が変わり、鉄砲は戦場において欠かせない武器となりました。

アクセス方法

JR琵琶湖線 長浜駅から湖国バスで10分、「国友鉄砲の里資料館前」バス停で下車し、徒歩すぐです。または、長浜駅から博覧会巡回バスで10分、「国友鉄砲の里資料館」バス停で下車して徒歩5分ほどです。

周辺観光情報

ミュージアム周辺には、長浜の歴史や文化を感じられる観光スポットが多数あります。特に、黒壁スクエアと呼ばれるエリアでは、古い街並みが残り、伝統工芸品や飲食店が並ぶ魅力的な観光エリアです。ぜひ、国友鉄砲ミュージアムと併せて訪れてみてください。

Information

名称
国友鉄砲ミュージアム
(くにとも てっぽう)

長浜・米原

滋賀県