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村居田古墳

(むらいだ こふん)

村居田古墳は、滋賀県米原市村居田に位置する歴史的な古墳で、一説には前方後円墳であるとされています。長浜古墳群を構成する古墳の一つとして知られ、古代日本の歴史や文化を考える上で重要な遺跡です。古墳の一部は宮内庁により、第30代敏達天皇の皇后・広姫(ひろひめ)の陵「息長陵(おきながのみささぎ)」とされ、現在もその付属地として管理されています。

村居田古墳の概要と特徴

村居田古墳は、滋賀県の北東部に位置する湖北地方の横山丘陵北端部付近に築造されました。周辺には、長浜茶臼山古墳や垣籠古墳といった他の古墳も存在し、これらを総称して長浜古墳群(横山北部古墳群)と呼ばれています。古墳は元禄期に発見され、墳丘の大部分が削平されるなどしたため、詳しい調査は行われていませんが、前方後円墳である可能性が指摘されています。また、円筒埴輪の破片が出土していることから、古墳時代中期にあたる5世紀頃の築造と考えられています。

被葬者と息長氏の関わり

村居田古墳の被葬者は明らかになっていませんが、宮内庁により第30代敏達天皇の皇后である広姫の陵として治定されています。しかし、築造時期が広姫の生存時期に合致しないことから、実際の被葬者とは異なるとされています。また、村居田古墳が築造された湖北地方の横山丘陵一帯には、息長氏(おきながうじ)という豪族の墓群が存在し、彼らの首長墓群としての位置づけも考えられています。長浜古墳群は、息長氏の前代の首長墓群にあたると考えられ、当時の息長氏の発展とその歴史的背景を探る上で注目されています。

村居田古墳の発見とその経緯

村居田古墳は、元禄9年(1696年)に荒陵山光運寺の本堂の改築工事の際に発見されました。その際、石槨(せきかく)や石棺(せっかん)が出土し、さらに宝冠・大刀・鏡といった副葬品も見つかりました。しかし、発見された遺物は後に別の場所に埋納され、現在は息長陵とされている場所で保管されています。発見当時、墳丘の大部分が削平されたため、墳丘の構造は明らかになっていませんが、家形石棺が使用されていたことが確認されています。

出土品と埋葬施設の特徴

石槨内に発見された石棺は、縄掛突起(なわかけとっき)4個を持つ阿蘇溶結凝灰岩(阿蘇ピンク石)製で、日本の東限で見られる石棺とされています。石棺は、古墳時代中期に使用された典型的な家形石棺であり、被葬者が権威ある人物であったことを示唆しています。また、石棺とともに埋納された宝冠や大刀、鏡などの副葬品も、当時の権力者の象徴としての意義を持っていたと考えられています。

村居田古墳と息長陵の関連

村居田古墳は明治時代に入ってから、教部省(後の文部省)の調査を受け、広姫の陵として治定されました。1872年(明治5年)には現地の検査が行われ、出土した石槨や石棺の詳細が記録されました。1875年(明治8年)には太政官による指示により、遺物が埋納されている場所に新たに円丘が築かれ、それが「息長陵」として正式に定められました。

宮内庁による管理と村居田古墳の保存状況

現在、村居田古墳は息長陵の付属地として宮内庁の管理下にあり、古墳周辺の参道や境界も宮内庁によって整備されています。しかし、発見当初に墳丘が大きく削平されていたため、残存している古墳の丘陵部分は限られており、本格的な調査はなされていません。このため、村居田古墳の詳細な構造や被葬者の特定には至っていない状況です。

村居田古墳の考古学的意義

村居田古墳は、湖北地方における豪族の活動や埋葬文化を知る上で重要な史跡です。特に、阿蘇溶結凝灰岩を用いた石棺の存在は、当時の流通や技術交流の一端を示しており、滋賀県周辺における古墳時代中期の権力構造や文化の影響を考察する材料となっています。また、埋納された副葬品も、当時の豪族が持っていた社会的地位や信仰心を理解する手がかりとなっています。

村居田古墳の築造時期と歴史的背景

村居田古墳の築造時期は、古墳時代中期にあたる5世紀中葉から後半と推定されています。これは、同じ長浜古墳群内の他の古墳とも時期的に関連があるとされ、息長氏の首長墓群の形成にも関わると考えられます。息長氏は近江地域において強い影響力を持った豪族であり、村居田古墳の被葬者も息長氏と関わりのある人物であった可能性があります。

村居田古墳の保存と今後の展望

現在、村居田古墳は息長陵として宮内庁によって保護されていますが、未だに詳細な発掘調査が行われていないため、古墳の全貌は明らかになっていません。保存状況の改善や研究の進展により、今後さらに新しい発見が期待される遺跡です。また、滋賀県や地元米原市にとっても貴重な文化財であり、観光資源としての価値も見直されつつあります。

観光地としての可能性

村居田古墳は、日本の古代史や考古学に興味のある観光客にとって魅力的なスポットとなり得ます。息長陵としての歴史的な意義や、豪族の墓であったことから、その背景にある歴史や文化に触れる機会を提供できる場所です。地元の観光促進や教育活動と連携して、村居田古墳を保存しながら活用していくことが望まれます。

まとめ

村居田古墳は、古代日本の豪族であった息長氏と関わりが深いと考えられる古墳で、滋賀県米原市にある貴重な文化遺産です。宮内庁によって第30代敏達天皇の皇后・広姫の陵「息長陵」として治定され、現在も保護されていますが、未発掘のため詳細は明らかになっていません。今後の調査や保存活動により、その全貌が解明されることが期待されています。

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名称
村居田古墳
(むらいだ こふん)

長浜・米原

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