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筑摩神社

(ちくま じんじゃ)

筑摩神社は、滋賀県米原市にある由緒ある神社です。国史見在社として知られ、旧県社に指定されています。特に、米原市の無形民俗文化財に指定される「鍋冠祭(なべかぶりまつり)」は、日本三大奇祭のひとつとされています。

神社の概要

所在地とご祭神

筑摩神社は、滋賀県米原市に位置しています。主祭神は御食津神(みけつのかみ)で、食物に関する神様として知られています。その他、大歳神(おおとしのかみ)、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、大市姫神(おおいちひめのかみ)の3柱も配祀されています。これらの神々は、いずれも食物や農業に深く関係があり、地元の人々にとっても大切に崇拝されてきました。

ご神紋

筑摩神社のご神紋は、左三ッ巴六ッ槌です。これらの紋章は、神社の歴史的な象徴として伝えられています。

神社の歴史

創建と由来

筑摩神社の創建は、社伝によれば孝安天皇28年(紀元前392年)にさかのぼります。継体天皇が越前から上京する際、この地に行宮を設け、社殿を再建し、神域を定めたとされています。また、この地域は桓武天皇の時代に内裏大膳職の御厨(みくりや)が置かれた場所であり、その守護神として御食津神が祀られたとも伝えられています。

神階の授与と寄進

仁寿2年(852年)には従五位下の神階が授けられ、その後、後鳥羽天皇や源頼朝からも神領が寄進されました。さらに寛元3年(1245年)には、最高位である正一位が授与されるなど、長い歴史の中で数々の信仰と崇敬を集めてきました。江戸時代には彦根藩主井伊氏からも篤い崇敬を受けています。

明治から昭和時代にかけて

明治16年(1883年)には郷社に列し、大正4年(1915年)には県社に昇格、同年神饌幣帛料供進社に指定されるなど、近代においてもその重要性が認められました。

日本三大奇祭「鍋冠祭」

鍋冠祭の概要

筑摩神社の春の大祭である「鍋冠祭」は、5月3日に開催されます。この祭りでは、神社から御旅所までの約1kmの道のりを、総勢200人の行列が練り歩きます。行列の中には、数え年8歳前後の狩衣姿の少女たちが、頭に鍋をかぶって参加する姿が見られ、この奇祭が「鍋冠祭」と呼ばれる所以となっています。

祭りの起源と伝統

鍋冠祭の起源は、桓武天皇の時代(8世紀)に遡るとされ、1200年を超える伝統があります。この祭りの背景には、当社の祭神がいずれも食物に関係する神であることが関係しています。神前には供物とともに「近江鍋」と呼ばれる土鍋が供えられ、これが祭りの由来とされています。

平安時代の「鍋冠り」の逸話

平安時代には、鍋冠りは少女ではなく、妙齢の女性が行っていました。当時の不文律として、鍋冠りの女性は、それまでに経験した男性の数だけ鍋をかぶるという風習がありました。この奇習は平安時代の歌物語『伊勢物語』にも「近江なる筑摩の祭とくせなむつれなき人の鍋の数見む」と詠われるほど有名でした。

鍋冠りの変遷と事件

江戸時代中期には、この鍋冠りにまつわる悲劇的な事件が発生しました。わざと少ない数の鍋をかぶった女性が、神罰により鍋を落とされ、人々から笑いものにされるという出来事がありました。この屈辱に耐えかねた女性は、神社近くの池に飛び込み命を絶ってしまったと伝えられています。この事件の後、藩主であった井伊氏は鍋冠りを禁止しましたが、地元の嘆願により、7歳から8歳の幼い少女が鍋をかぶる形で行うことが許可され、現在の姿となりました。

無形民俗文化財としての指定

このような歴史的背景と独自の文化を持つ鍋冠祭は、米原市の無形民俗文化財に指定され、地域の重要な伝統行事として保存・継承されています。

アクセス情報

筑摩神社へのアクセスは以下の通りです。

まとめ

筑摩神社は、長い歴史と豊かな伝統を持ち、特に「鍋冠祭」という日本三大奇祭のひとつを通じて、多くの人々に親しまれています。この祭りは、地域の信仰や文化が育んできた独自の風習であり、今もなお大切に受け継がれています。ぜひ、筑摩神社を訪れて、日本の神社文化と米原市の伝統を体感してみてください。

Information

名称
筑摩神社
(ちくま じんじゃ)

長浜・米原

滋賀県