琵琶湖の北部の沖合に浮かぶ神秘的な信仰の島です。古くから浅井姫命が鎮座し、水神として崇められ、船の安全な航路を守る神として信仰を集めてきました。
今でも竹生島は日本三大弁才天のひとつである「大弁才天」を祀る宝厳寺や、都久夫須麻神社(竹生島神社)があり、琵琶湖に浮かぶ関西有数のパワースポットとして、多くの人々が訪れています。
竹生島は琵琶湖で二番目に大きい島で、周囲は約2kmです。小島ですが、島自体は巨大な一枚の花崗岩でできています。
島の名前は「斎く(いつく)島」から派生し、「いつくしま」が「つくぶすま」と変化し、「ちくぶしま」となりました。
また、漢字の「竹生島」は、島の形が雅楽などで使われる楽器の笙(しょう)に似ていることから名付けられたという説もあります。
竹生島は琵琶湖八景の一つに数えられ、平家物語や謡曲にも美しい島として登場し、千年以上経った今でもその姿は人々を魅了し続けています。
宝厳寺は、国宝の「唐門」と重要文化財の「観音堂」があります。さらに、復元された「三重塔」や都久夫須麻神社の国宝である「本殿」、願いが叶うと人気のある「龍神拝所」など、さまざまな建築物があります。
都久夫須麻神社の本殿内部には、桃山時代の美しい装飾が施されています。
また、「龍神拝所」では琵琶湖に面した鳥居にかわらけを投げ、その間をくぐると願いが叶うとされています。
観音堂と都久夫須麻神社 本殿をつなぐ「舟廊下」は、全長30mで豊臣秀吉の御座船「日本丸」の船櫓の用材を用いて建てたという伝承があり、国の重要文化財に指定されています。
宝厳寺の「唐門」は大坂城 極楽橋の唯一の遺構とされています。
宝厳寺の本堂を訪れるには、急な165段の石段を登ることになりますが、その階段は「祈りの階段」と呼ばれ、巡礼者が祈りながら歩いた場所とされています。頂上からは、雄大な琵琶湖の絶景が広がります。
竹生島は、豊かな歴史と神秘的な雰囲気が漂う場所です。ぜひ訪れて、その魅力を体感してみてください。島内には水洗トイレもあります。天候に左右されるため、クルーズや天気予報を事前にチェックすることがおすすめです。
竹生島
竹生島は、琵琶湖に浮かぶ聖地であり、神様が住む島です。周囲は約2kmで、面積は0.14平方kmです。竹生島は国の名勝および史跡に指定されており、2016年には日本遺産にも登録されました。
竹生島に上陸すると、165段の石段を登ると宝厳寺が現れます。宝厳寺は弁才天を本尊とし、江ノ島や厳島とともに三弁才天として知られています。
また、宝厳寺の観音堂は西国33箇所の観音霊場の30番目の札所として多くの人が訪れます。
参道には売店や喫茶処もありますが、住宅はありません。古くから人々の信仰を集め、今でも神秘とロマンの島として知られています。
舟廊下を渡ると都久夫須麻神社があります。都久夫須麻神社の本殿(国宝)には、伏見城の遺構である桃山美術が見られます。特に襖絵や天井画は狩野光信の作と伝えられています。
平家物語にも登場する拝殿では、かわらけ投げが行われており、素焼きの小皿に願いを書いて岩場に立つ鳥居に向かって投げると、鳥居をくぐることで願いがかなうと言われています。
竹生島の見どころ
奈良時代の高僧である行基が四天王像を安置したことから、竹生島信仰の始まりとされます。宝厳寺と都久夫須麻神社は別々に存在しており、かつては神様と仏様が同じ場所に鎮座していました。
都久夫須麻神社の本殿や宝厳寺の唐門は国宝に指定されています。また、都久夫須麻神社の竜神拝所では、かわらけ投げや宝厳寺の本堂にある弁天様の幸せ願いダルマなど、ユニークな願掛けが人気です。
竹生島へのアクセス
竹生島へは「長浜港」「今津港」「彦根港」から定期便でアクセスできます。各港には無料駐車場があります。竹生島への入島時には、拝観料が必要です。竹生島内は約1時間で見どころを巡ることができます。
長浜港や今津港から竹生島までの所要時間は約30分で、琵琶湖汽船の定期クルーズ「竹生島クルーズ」に乗船することができます。彦根港から竹生島までの所要時間は40分で、オーミマリンが運航しています。
竹生島は琵琶湖北部に位置する無人島です。島の周囲は約2kmで、面積は0.14km²です。竹生島は琵琶湖国定公園特別保護地区に指定されており、国の名勝および史跡にも指定されています。
また、2015年には「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産」の一部として日本遺産に認定されました。
竹生島は葛籠尾崎の南約2kmに位置し、花崗岩の一枚岩で構成されています。島全体を切り立った岩壁が囲んでおり、針葉樹が繁茂しています。その美しい風景は古くから知られており、琵琶湖八景の一つに選ばれています。
また、湖底の水深は深く、特に西岸付近は琵琶湖の最深部です。竹生島港が島の南側にあり、宝厳寺や都久夫須麻神社などの寺社や土産物店が集まっています。
竹生島の周辺にはいくつかの奇岩が存在しており、竹生島を回ると断崖や切り立った岩が連なっています。東側には仁王崎があり、都久夫須麻神社の本殿や神社拝殿、聖武天皇供養塔が建てられています。
さらに東側には屛風岩と呼ばれる崖があり、北東には小島が隣接しています。北側の崖には霊窟と呼ばれる洞窟があり、修行の場として利用されています。また、竹生島の北西には唯一の砂浜である弁天浜が広がっています。
竹生島は自然の美しさと歴史的な価値を兼ね備えた場所です。2015年にはタブノキ林が滋賀県の天然記念物に指定されました。ぜひ竹生島を訪れて、その魅力を堪能してみてください。
竹生島の地理と植生について
竹生島は約5700万年前の白亜紀末に形成された花崗岩からなる島です。当時、日本列島は形成されず、ユーラシア大陸の東縁部でした。後に日本列島が形成される過程で、花崗岩が地上に現れました。
竹生島の花崗岩は顕著な節理を持ち、多くの割れ目があります。このため、切り立った崖が島を囲んでいます。地震や湖水の波の作用により、岩盤が崩れ落ち、大小の洞窟が形成されました。
島の北部にはカワウの大規模なコロニーが存在し、その数は約2万羽に達します。カワウの糞による影響で木々が枯れ、景観が損なわれています。
かつて竹生島全体が常緑樹に覆われていました。1972年の植生調査によると、当時の高木層にはシイやコジイ、ヤブニッケイ、モチノキなどが広がっていました。
亜高木層では日光の届きにくい薄暗い環境に適応したヤブニッケイやモチノキ、シロダモ、ヤブツバキなどの常緑樹が主に生育しており、比較的明るい場所にはタラノキが生えていました。
低木層にはヤブニッケイやアオキ、ヤブツバキ、チマキザザが多く、林床にはベニシダが豊富で、次にヤブニッケイやヤブミョウガ、イタビカズラ、フユイチゴ、アオキ、ジャノヒゲ、イノデなどの植物が生育していました。
竹生島はシラサギの大規模な繁殖地としても有名でした。特にダイサギ、チュウサギ、コサギ、アマサギのシラサギ類とゴイサギのコロニーは湖北地方で唯一の存在であり、長浜市の鳥としても重要視されていました。カワウの増加により現在は見られません。
その他の野鳥としては、都久夫須麻神社と宝厳寺の境内に残る照葉樹林にヤマガラやメジロ、コゲラなどが生息しています。かつてはハヤブサの繁殖が確認されていましたが、最近は繁殖の確認はされていません。
カワウの繁殖地による被害
竹生島は人が往来する範囲が限られており、港や土産物店、寺社周辺に人が集中しています。一方、島の北部はカワウの大規模なコロニーとなっています。
カワウの数は約2万羽で、カワウの糞害によりほとんどの木々が枯れてしまいました。この状況は南側にも広がりつつあります。竹生島の風景は、かつての緑樹が沈んでしまった姿とは異なります。
カワウの繁殖数は急速に増え、2007年までは約3万から4万羽で推移していました。この深刻な状況に対処するため、竹生島では樹木にロープを張ったり、爆音機や目玉風船を使用した威嚇などの対策が行われました。また、2004年からはカワウの駆除も実施され、年間で1万羽以上が駆除されています。
竹生島の環境保護とカワウの管理は重要な課題です。滋賀県ではカワウの数を減少させるために取り組んでいますが、竹生島以外の地域では生息羽数が増加しており、生息地の分散が進んでいます。
湖底遺跡について
竹生島と葛籠尾崎の間には湖底遺跡(葛籠尾崎湖底遺跡)が存在します。この遺跡は琵琶湖の湖底から約70メートルの深さまで広がっており、漁師の網に引っ掛かるなどして約140点もの土器や陶磁器が引き揚げられました。これらの遺物はほぼ原形をとどめており、縄文時代早期から弥生時代、中世まで様々な時代のものと考えられています。
遺跡の形成過程については複数の説があります。例えば、津波によって集落が水没したり、船が沈んだり、祭祀のために沈められたり、周辺の山崩れによって移動した可能性が考えられています。
湖底遺跡は水深や水流の影響で人間による潜水調査が制約されているため、ロボットを使用した探査が計画されています。このような遺跡は世界でも類を見ないものであり、沈積の原因については未だに大きな謎に包まれています。
竹生島の歴史について
竹生島は古くから信仰の対象とされ、奈良時代に行基上人が四天王像を安置したことで竹生島信仰が始まったと伝えられています。
島の南部には竹生島神社(旧弁才天社)と宝厳寺があります。竹生島神社は神仏分離令の際に弁才天社から改称されました。竹生島はかつて神仏一体の聖地であり、分離の際には混乱があったと言われています。なお、竹生島の弁才天は江の島の江島神社や厳島の厳島神社と並んで、日本三大弁天の一つとされています。
戦国時代には近江国の小谷城主であった浅井久政が、家督を巡る争いにより一時的に竹生島に幽閉され、隠居生活を強いられました。また、織田信長が琵琶湖沿岸を拠点として参詣した記録があり、宝厳寺は豊臣秀吉との関わりが深い寺院です。
竹生島に関する伝承としては、多多美比古命(伊吹山の神)と浅井姫命の伝説があります。竹生島は多多美比古命と浅井姫命が高さを競い、多多美比古命が負けて浅井姫命の首を切り落とした結果、島が誕生したとされています。
また、坂上田村麻呂の東征譚をモチーフにした『田村草子』や『鈴鹿草子』においても竹生島が登場し、弁財天や鈴鹿御前との関連が描かれています。
中世には竹生島は西日本の地震に関連した聖地とされていました。『渓嵐拾葉集』によれば、竹生島は金輪際と呼ばれる場所から生まれた金剛宝石の柱であり、仏陀が正覚した際に座った金剛座だとされています。
また、島には弁の岩屋と呼ばれる龍穴があり、そこから竹生明神という魚龍が出現し、島を巡って鎮めると伝えられています。
竹生島は中世には「水晶輪の島」とも称され、『平家物語』や『源平盛衰記』などの文学作品にも登場します。『渓嵐拾葉集』では、竹生島に船で近づくと「りゃんりゃん」と響くと記されています。
文化
竹生島は古くから信仰の対象とされ、能や平曲、近世邦楽の楽曲などでも取り上げられています。
以下は竹生島に関連する芸能や音楽の一部です:
2016年には文化庁が「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産」として日本遺産に認定し、竹生島もその一部となりました。
また、竹生島には以下のような文化財も存在します:
これらの文化財が竹生島の文化を豊かに彩っています。
入島料(宝厳寺・都久夫須麻神社共通)
大人(中学生以上)600円
小人 300円