伊香具神社は、滋賀県長浜市木之本町大音に位置する歴史ある神社です。湖北地方で最も名高い神社とされ、毎年多くの参拝者が訪れます。神社は五穀豊穣や開拓の神として地元住民からも篤く信仰されています。
伊香具神社は、式内社(名神大社)として知られ、かつての社格は県社でした。神社の神紋は「上藤」とされ、特に「湖北随一の名社」としての誉れを持っています。神社では、毎年2月24日に「オコナイ」と呼ばれる祭事が行われ、多くの参拝者で賑わいます。
伊香具神社の主祭神は伊香津臣命で、『近江国風土記』の逸文にある羽衣伝説に登場する「伊香刀美」と同一視されています。この神は五穀豊穣の神徳を持ち、地域の豊かな農業の発展に寄与しているとされています。社伝によれば、当地が湖沼地であった頃、祭神が開拓を行い、その後子孫を守るために鎮座したと伝えられています。
『神社由緒記』によると、天武天皇の白鳳10年以前に、伊香宿祢豊厚が社殿を建立したとされています。このことから、伊香具神社は古代から信仰の対象であったことがわかります。また、貞観元年(859年)には神社の地位が高まり、従五位上勲八等から従四位下に昇叙され、その後も従四位上に昇進しました。
延喜の制で名神大社に列した伊香具神社は、平安時代において重要な神社として知られていました。また、寛平7年(895年)には、菅原道真が法華経や金光明経を手写し納め、さらに「正一位勳一等大社大明神金剛覚印菩薩」という勅額が下賜されたと伝えられています。これにより、神社の信仰は一層深まりました。
戦国時代には、足利尊氏や浅井氏が伊香具神社を庇護しましたが、賤ヶ岳の戦いによって社殿や古記録は焼失し、社領も没収されることとなりました。明治時代に入ると、明治8年(1875年)に郷社に列し、さらに明治32年には県社に昇格。その後、明治40年には神饌幣帛料供進神社として指定され、現在の姿へと再興されています。
伊香具神社の本殿と中門は、訪れる人々に荘厳な雰囲気を感じさせる重要な建造物です。特に、本殿は神社の中心として、古くからの信仰の象徴とされています。
境内の入り口には、独特な形状を持つ「伊香式鳥居」が立ち、その存在感は神社を訪れる際の目印となっています。この鳥居は、湖北地方特有のデザインで、地域の歴史と伝統を感じさせます。
伊香具神社の境内には、いくつかの摂末社があります。特に注目すべきは、奥之宮、三之宮、白山神社です。これらの摂末社は、伊香具神社の神域を守るために重要な役割を果たしています。
伊香具神社の境外には、意太神社という別の式内社も存在します。この神社は伊香具神社と深い関係を持ち、両社を巡ることで、地域の神道文化をより深く理解することができます。
毎年2月24日には、伊香具神社で「オコナイ」と呼ばれる祭事が行われます。この祭りは、地域の豊作を祈願するためのもので、多くの参拝者が訪れます。オコナイは、地域の伝統文化を伝える重要な行事として、地元の人々にとっても特別な日となっています。
伊香具神社の例祭は、毎年4月6日に行われます。この例祭は、神社の年間で最も重要な祭事の一つであり、地域の人々だけでなく、観光客も多く訪れる人気のイベントです。例祭の日には、境内が賑わい、参拝者たちが神社の豊かな歴史と文化を体感します。
伊香具神社へは、公共交通機関や車でのアクセスが可能です。JR北陸本線の木ノ本駅からバスを利用し、「大音」バス停で下車することで、神社まで簡単にアクセスできます。また、車での訪問も可能で、周辺には駐車場が整備されています。