信楽・甲賀には、陶芸の森陶芸館、甲賀市信楽伝統産業会館、MIHO MUSEUM、滋賀サファリ博物館、滋賀県陶芸の森、信楽陶苑たぬき村、三筋の滝、甲賀忍術博物館、甲賀流忍術屋敷、鮎河(うぐいがわ)千本桜などの観光スポットがあります。
また、たぬき丼、松茸、近江牛、近江茶、近江米などのご当地グルメもおすすめです。
忍者・戦国時代のテーマパークで、甲賀忍者の発祥地にあり、古くからの隠れ里の雰囲気が漂っています。 山奥にある甲賀の里は、忍者の発祥地として知られ、世界中の人々がNINJAと呼ぶ、伊賀と並ぶ忍者の有名な土地です。 広大な敷地内にはカラクリを使った忍者屋敷3棟や、本物の忍者の道具が展示された世界一の忍術資料を保有する博物館、手裏剣を投げることができる道場、そして忍者の必需品である薬を作る薬草園があり、忍者の歴史を学ぶだけでなく、実際に忍者の体験もできる忍者のテーマパークとなっています。 特に注目すべきは、チビッコ忍者道場です。道場では、忍者になりきって石垣をよじ登ったり、刀を使って壁を登った...»
信楽町の郊外に位置し、自然豊かな山間に「桃源郷」をイメージして建てられた美術館。「自然と建物の美術品」「伝統と現代」「東洋と西洋」の融合をテーマに、道に迷った漁夫が仙境の楽園―桃源郷を見つけ出すという、陶淵明の「桃花源記」に描かれた物語を、信楽の地に実現しました。 設計は、フランスのパリ・ルーヴル美術館のガラスのピラミッド、ワシントンのナショナルギャラリー東館などで世界的に知られるI.M.ペイです。 建物の8割が地下に埋められており、美しい自然環境を保護しながら造られ、周囲の自然景観への配慮がされています。 レセプション棟からは桜並木を通り、トンネルをくぐり、その先には吊り橋を渡って展示...»
甲賀五十三家の一つ。外観は平屋建で内部は三階建。忍者グッズも販売している。...»
「学生の為に安くて美味しいものを!」というコンセプトのもとに昭和30年代に誕生した、やきそばを焼いただけというシンプルな1品。ラードで炒められたそばは甘みがアップし、表面のところどころにあるカリカリとした香ばしさと、中味のもっちりとした食感の両方が楽しめる。そばの他に使用されているのは、もやしとねぎ、味付けは塩のみ。そこに、ウスターソースやこしょう、しょうゆなどを用いて、自分好みに味付けをして食べる。...»
江戸時代、東海道石部宿の庶民に親しまれた伝統食が”いもつぶし”。年貢や売り物にならないくず米と里いもを一緒に炊き、潰して丸めたものに味噌をつけて焼き上げたものが原型といわれている。その“いもつぶし”の生地の中に近江牛や地元野菜を使った“近江牛味噌そぼろ”を入れて、現代風にアレンジしたものが復活版・いもつぶしだ。具材を挟んで焼き上げれば、程よい焦げ目とふんわりと優しい味噌の香りが漂う。外はパリッと中はモチッとした食感で、素朴な味わいが現代の人にも親しまれている。...»
滋賀県が発祥といわれる有名な野菜・日野菜。日野菜を使った「日野菜漬」は全国的にも知られる漬物だ。塩漬け・甘酢漬け・ぬか漬けなどにされるが、現在では、甘酢漬けが多く食べられいる。切らずに漬ける「姿漬け」と、切って漬ける「切り漬け」があり、「姿漬け」は桶に入れた形が「えび」のように見えることから「えび漬け」とも呼ばれている。また、「切り漬け」は、全体が桜色になり「桜漬け」とも呼ばれるそうだ。「日野菜漬」の味と苦みが入り交じった味は独特で、ご飯や酒にもよく合う。 「日野菜漬け」は、滋賀県の伝統的な漬物で、平成10年(1998年)に滋賀県の選択無形民俗文化財として認定されました。 この漬物は、日野...»
甲賀市土山町鮎河集落でのみで栽培される、「鮎河菜」。そのはじまりは、平安時代とも言われるほど古い歴史を持ち、他の地区では葉の色や形が変わってしまい育たないと言われている。3月中旬から4月上旬頃、市場に出回り、春の訪れを感じさせてくれる野菜のひとつ。菜の花同様、アブラナ科の野菜で、つぼみと葉の部分を食す。茎の部分は特に甘く、生でも食べられるほど。地元では、塩漬けにしたり、おひたし、炒め物にしていただく。 旬 3月 4月...»
”下田なす”は、滋賀県の南西部下田地区で明治時代以前より栽培されている野菜のひとつ。一般的ななすに比べて小ぶりで形は卵形。皮が薄く、水分豊富でやわらかな実が特徴。色はやや薄く、ガクのところはほんのりと緑がかった白。下田地区の人にとっては、普通のなすの色の濃さに違和感を感じるという話も。アクが少なく甘みがあり、生でも食べやすいことから、浅漬けやぬか漬けなど、漬け物にされることが多い。天ぷらもおすすめ。 旬 7月 8月 9月 10月...»
甲賀市水口町で江戸時代から栽培されている「水口かんぴょう」。歌川広重の東海道五十三次内、「水口宿(みなくちじゅく)」にも登場する貴重な野菜。手間暇かけた昔ながらの手剥きと天日乾燥で丁寧に作られている。このかんぴょうは、ふんわりとやわらかく、繊維が豊富なことから、煮物に適しており、味もよく染みこむ。代表的な料理としては、巻きずしや煮物、酢の物、和え物など。また新しい食べ方としてサラダなども登場している。...»
滋賀県発祥の野菜の中で、最も有名と言われる「日野菜」は、室町時代から伝わる由緒ある食材だ。スマートな姿と、白と紫のコントラストが美しい伝統野菜は、独特の辛みと苦味が特徴。この辛みを生かした漬け物が有名で、塩味と合わさりとても美味しいご飯にも酒の肴にもよく合う漬け物になる。現在は、甘酢漬けにしていただくのが一般的で、色が鮮やかな桜色になることから、「桜漬け」とも呼ばれている。その他、サラダや天ぷらにしても美味しくいただける。 旬 11月 ...»
甲賀市は、滋賀県の南東部に位置する市で、南端が三重県、南西端が京都府と接しています。2004年(平成16年)に旧甲賀郡の5町(信楽町、甲南町、水口町、甲賀町、土山町)が合併し、甲賀市が発足しました。 かつては忍者の里として知られ、現在もその歴史的背景を感じられるスポットが点在しています。また、名産品やイベントも充実しており、訪れる人々に様々な楽しみを提供しています。 名所・旧跡 主な城郭・屋敷 甲賀市には、歴史的な城郭や屋敷が多数存在します。これらの遺跡は、甲賀市の歴史を物語る貴重な文化財です。 水口城跡(碧水城): かつての城郭で、甲賀市の歴史を知る上で重要なスポットです。 ...»
水口城は、滋賀県甲賀市水口町にあった江戸時代の城で、近江国(現在の滋賀県)の歴史的遺産として知られています。戦国時代に存在した水口岡山城や下野国にある水口城とは異なるため、これらについての説明は別途参照が必要です。城跡は現在、滋賀県の指定史跡として保存されています。 立地と環境 水口城は、野洲川の中流域に位置し、周辺にはなだらかな水口丘陵が広がっています。城の北側には東海道が通り、南には水口神社、そして南方に野洲川が流れています。城の南部はかつて田園地帯で、甲南部や杣谷を経て伊賀へと続く間道である「伊賀街道」が通っていました。 城の立地の重要性 水口城の立地は交通の要所であり、東海道沿...»
六角堂は、滋賀県甲賀市甲南町寺庄に位置する、平面六角形の二重塔を持つ地蔵堂です。江戸時代に建てられ、現在では甲賀市の指定文化財として重要な歴史的建造物となっています。 六角堂の概要 六角堂は、1788年(天明8年)の棟札の写しが残る、江戸時代に建造された建物です。滋賀県内には2棟しか現存しない平面六角形の建物の一つで、非常に貴重な遺構として知られています。この六角堂は、池田村の大工である中村喜惣治を棟梁として建てられ、建築技術と美しさが評価されています。 建築の特徴 六角堂は、要所にケヤキ材を使用しており、建物の頂上には宝珠が配置されています。また、二層屋根の角には十二支の意匠が施され...»
櫟野寺は、滋賀県甲賀市甲賀町櫟野に位置する天台宗の寺院で、山号は「福生山」、院号は「自性院」と称します。本尊には十一面観音(櫟野観音)が祀られ、また、甲賀三大仏の一つである薬師如来像が安置されています。さらに、櫟野寺は「甲賀六大寺」の一つとして知られています。 寺院の歴史 櫟野寺の歴史は、延暦11年(792年)に遡ります。延暦寺根本中堂の用材を求めてこの地を訪れた最澄が、十一面観音を安置したことが始まりとされています。延暦21年(802年)、征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂が蝦夷征討に赴く前に櫟野寺を参詣し、その後の蝦夷征討が成功したことから、この寺を祈願寺としました。大同元年(806年...»
大池寺は、滋賀県甲賀市水口町にある臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は「龍護山」、本尊は釈迦如来で、甲賀三大仏の一つとして知られています。庭園の美しさや歴史的な価値が高く、観光名所としても有名です。 大池寺の歴史 行基による創建 大池寺の起源は天平年間(729年 - 784年)に遡ります。当時、行基という僧がこの地を訪れ、農民のために「心」という漢字の形に4つの池を掘り、灌漑用水を整備しました。そして、その中央に法相宗の邯鄲山青蓮寺を建立し、自ら彫刻した釈迦如来坐像を安置したと伝えられています。 臨済宗への改宗 その後、大池寺は天台宗の寺院として発展し、子院を8ヶ寺持つほどの規模となりま...»
大岡寺は、滋賀県甲賀市水口町に位置する天台宗系単立の寺院です。龍王山を山号とし、本尊は千手観音です。この寺院は、近江西国三十三箇所の第26番札所としても知られています。 歴史 創建と発展 大岡寺の歴史は古く、白鳳14年(686年)にさかのぼります。当時、行基という僧が諸国を行脚していた際、近江国甲賀郡の大岡山山頂に自ら彫刻した千手観音を本尊として、龍王山観音院を創建したと伝えられています。 平安時代に入ると、東海道が甲賀郡を通るようになり、大岡山は交通の要所として発展しました。その結果、16の子院を持つ大規模な寺院となり、「大岡寺」や「岡観音」とも呼ばれるようになりました。 平安時代...»
玉桂寺は、滋賀県甲賀市信楽町勅旨に位置する高野山真言宗の仏教寺院です。山号は秋葉山、院号は十輪院で、正式には秋葉山十輪院玉桂寺と称されます。古い歴史を持ち、淳仁天皇の離宮跡地に建てられたとされ、歴代天皇の勅願寺にもなった由緒ある寺院です。 玉桂寺の歴史 寺伝によれば、玉桂寺の歴史は奈良時代にまでさかのぼります。淳仁天皇が平城京の北に造営した離宮「保良宮」の跡地に、弘法大師空海が開いたとされています。その後、文徳天皇と後花園天皇の勅願寺として定められ、さらに信仰を集める寺院となりました。 一願成就の大不動明王 玉桂寺には「一願成就大不動明王」という高さ13メートルの大きな不動明王像が鎮座...»
油日神社は、滋賀県甲賀市甲賀町油日にある神社です。国史見在社で、旧社格は県社に位置し、神社名の由来となる「油日大神」は勝軍神として古くから武士たちの崇敬を受けてきました。また、「油」の名が示す通り、火の神としても信仰を集めています。油日岳を神体山とし、その山頂には罔象女神(みずはめのかみ)を祀る岳神社も鎮座しています。神紋は木瓜に二ツ引とされています。 概要 油日神社の所在地は、滋賀県甲賀市甲賀町油日です。甲賀市には同名の「油日神社」がもう一つ存在し、そちらは甲賀市甲南町上馬杉に位置しています。本項では甲賀町油日にある油日神社について詳しく解説します。 歴史 創祀の由来 油日神社の創...»
川田神社は、滋賀県甲賀市水口町北内貴に鎮座する歴史ある神社です。この神社は、その創建が古代にさかのぼり、地域の人々に深く信仰されてきました。神社の祭神や由緒についても古くから語り継がれており、現在でも地域の重要な信仰の中心地となっています。 川田神社の概要 川田神社は、甲賀市の静かな自然環境の中にあり、神聖な雰囲気に包まれた場所です。ここでは主祭神として天湯川桁命(あめのゆかわたなぎのみこと)が祀られています。天湯川桁命は、古代の豪族「鳥取連」の祖神であり、古くから崇敬を集めていました。また、配祀神として天川田奈命(あめのかわたなのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、そして大己貴...»
大鳥神社は、滋賀県甲賀市甲賀町鳥居野に位置する歴史ある神社です。地元では「てんのうさん」とも親しまれ、長い歴史と多くの文化財を有する神社として知られています。 概要 大鳥神社は、平安時代に創建され、鎌倉時代から室町時代にかけては近江守護の六角氏に深く崇敬されました。現在もその歴史を感じさせる境内と、多くの文化財が保存されています。 歴史 大鳥神社の歴史は平安時代の元慶6年(882年)に遡ります。伊賀国阿拝郡河合郷の篠山嶽から大原中に勧請され、その後現在の地に遷座されました。当時、天台宗の河合寺が神宮寺として創建され、神仏習合のもとで神社と寺が一体化していました。河合寺は36の子院を持つ...»
滋賀県甲賀市にある水口神社は、歴史ある神社で、例祭として水口曳山祭を行うことで知られています。この神社は、式内社として認められており、旧社格は県社に位置付けられています。 神社の概要と歴史 社名の変遷 中世においては「山王新宮」と称されていました(『藤川記』)。しかし、近世になると「大宮大明神社」と呼ばれ(『近江輿地志略』)、現在でも地元では「大宮さん」という愛称で親しまれています。社名の変遷を通じて、地域の信仰の中心であり続けてきたことがうかがえます。 祭神とその由来 本殿の主祭神は、大水口宿禰命(おおみなくちのすくねのみこと)で、相殿には大己貴命、素盞嗚尊、稲田姫命の三柱が祀られ...»
柏木神社は、滋賀県甲賀市水口町に位置する歴史ある神社です。旧社格は県社で、地元の信仰を集めています。長い歴史を持ち、古くから地域の守護神として崇敬を受けてきました。 神社の概要 柏木神社は、滋賀県甲賀市の水口町にある神社で、歴史的な建造物と自然が調和する場所です。境内には、さまざまな建物や文化財が点在しており、訪れる人々に静かな佇まいを提供しています。神社は古くから地元の豪族や領主たちの崇敬を受け、その歴史的価値からも注目されています。 歴史 創建と発展 社伝によると、柏木神社の起源は白鳳元年(673年)に遡ります。この年、日吉宮と称して大己貴命を祀ったことが神社の始まりとされていま...»
日雲神社は、滋賀県甲賀市信楽町牧に鎮座する由緒ある神社です。神社は、豊かな自然に囲まれた静寂な場所にあり、地元の信仰を集めています。境内を信楽高原鐵道が通過するという珍しい光景も魅力の一つです。 神社の概要 日雲神社は、滋賀県甲賀市信楽町牧に位置しており、その歴史は古く、創建の時期は不詳とされていますが、伊勢神道五部書『倭姫命世記』に記載されている元伊勢「甲可日雲宮」に起源を持つと伝えられています。 祭神 日雲神社の主祭神は、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。この神は、宇宙の中心に位置し、すべての神々の祖神とされる重要な存在であり、神聖な力を持つ神として崇拝されています。 神...»
飯道神社(いひみちじんじゃ、はんどうじんじゃ)は、滋賀県甲賀市に位置する由緒ある神社です。かつては神宮寺であった「飯道寺」とともに修験道の霊場として広く知られていました。神社の公称は「いひみちじんじゃ」ですが、中世以降、飯道寺(はんどうじ)の読み方が広まり、それに伴って「はんどうじんじゃ」とも呼ばれるようになりました。地元を含め、多くの人々にこの名称で親しまれています。 祭神 伊弉冊尊(いざなみのみこと)、速玉男命(はやたまのおのみこと)、事解男命(ことさかのおのみこと)の3神が祀られています。しかし、元々は原始山岳信仰の対象である飯道神が祭られていました。後世に熊野修験道の影響を受け、熊...»
田村神社は、滋賀県甲賀市土山町にある由緒ある神社です。旧社格は県社であり、その歴史は古く、地域の信仰の中心として大きな役割を果たしてきました。また、神社の参道はかつての東海道の一部であり、現在も多くの参拝者や観光客が訪れる場所です。境内には、歴史的な建物や文化財が点在し、特に毎年2月18日を中心に開催される「厄除大祭」で知られています。 歴史 田村神社の歴史は、垂仁天皇45年4月8日に甲可翁が天照大神を奉じ、甲可日雲宮に祀ったことに始まります。ここで祀られた倭姫命の生霊を鎮祭し、高座大明神と称されたのが当社の起源です。 その後、平安時代に入ると、坂上田村麻呂が嵯峨天皇の命を受けて鈴鹿峠の...»
矢川神社は、滋賀県甲賀市甲南町森尻に位置する歴史ある神社です。主祭神として、大己貴命(おおなむちのみこと)と矢川枝姫命(やがわえひめのみこと)を祀っており、地域の人々に信仰されています。 矢川神社の祭神 大己貴命 大己貴命は、殖産興業や健康長寿の神として知られています。古くから、人々に信仰され、生活や産業の繁栄を祈願する神として重要な役割を果たしています。 矢川枝姫命 矢川枝姫命は、諸芸の上達や諸願成就の神として信仰されています。「八河江比売」や「矢河枝比売」とも表記されることがあり、古事記にもその名が記されています。特に、大国主命の系譜や応神天皇の妃としても登場するため、古代からの...»
水口宿は、東海道五十三次の50番目の宿場で、現在の滋賀県甲賀市水口町旧市街に位置しています。この宿場は、歴史と文化が色濃く残るエリアで、江戸時代に栄えた宿場町として知られています。 水口宿の歴史 東海道の宿場町としての誕生 水口宿は、室町時代から宿駅の機能を持ち、1601年に正式に宿駅に指定されました。その後、1634年には水口城が築かれ、1682年には水口藩が成立し、宿場町としての役割に加え、城下町としても発展しました。このような背景から、水口宿は東海道の中でも特に重要な宿場となりました。 江戸時代の水口宿 1843年に作成された『東海道宿村大概帳』によれば、水口宿には家数692軒...»
土山宿(旧字体:𡈽山・圡山)は、近江国甲賀郡に位置していた東海道五十三次の49番目の宿場町です。現在の滋賀県甲賀市土山町北土山および土山町南土山に該当します。 歌川広重「東海道五十三次・圡山」 歌川広重が描いた「東海道五十三次・圡山」の作品は、土山宿の当時の雰囲気を伝える重要な資料です。土山宿は古来から交通の要衝として栄え、多くの旅人たちが行き交う宿場町でした。 土山宿の歴史 平安時代からの発展 土山宿の歴史は平安時代に遡ります。当時、伊勢参宮道が鈴鹿峠を越える旧東海道筋を通るようになり、土山は難所を控える重要な宿駅として発展を遂げました。 鎌倉時代の交通拡大 鎌倉時代に入ると、...»
鶏鳴八滝は、滋賀県甲賀市信楽町神山にある8つの滝の総称です。それぞれの滝には独自の魅力があり、訪れる人々を自然の美しさと静寂で癒します。鶏鳴八滝は、神山周辺の自然の豊かさと歴史的背景に彩られた場所で、観光地としても人気があります。 概要 鶏鳴八滝の中で最も古くから知られていたのは「鶏鳴の滝」であり、その名前の由来には興味深い伝説が残されています。しかし、上下流に点在する他の7つの滝については、2010年に公募によりそれぞれの名前が決められました。これにより、鶏鳴の滝を含めた8つの滝が「鶏鳴八滝」として広く知られるようになりました。滝は約1kmの区間にわたって点在しており、それぞれの滝には、...»
湖南市は、滋賀県南部の甲賀地域に位置する市です。市名の「湖南」は広域地名で、大津市南部から旧甲賀郡にかけてを指します。琵琶湖とは接していないものの、自然豊かな環境や歴史的な観光資源が数多くあります。湖南市は、阿星山系と岩根山系に囲まれ、中央には野洲川が東から西へと流れ、国道1号やJR草津線がこの流れに沿って走る交通の要所です。 歴史的には、江戸時代の東海道51番目の宿場町である石部宿があり、現在でもその面影を感じられます。市内には、歴史的な寺院や神社が多く点在しており、観光客にとって見どころが満載です。特に、国宝に指定されている建築物や、古くから続く雨乞いの伝統が今も受け継がれている神社など...»
長寿寺(湖南市)について 滋賀県湖南市に位置する長寿寺は、天台宗の仏教寺院であり、山号は阿星山。本尊として地蔵菩薩を祀るこの寺は、湖南三山の一つとして数えられ、常楽寺、善水寺と並ぶ重要な存在です。長寿寺は「東寺」とも呼ばれ、同じ湖南市にある「西寺(にしでら)」の常楽寺と対比されています。 寺院の概要 長寿寺は、滋賀県湖南市の豊かな自然に囲まれた仏教寺院で、訪れる人々に歴史と静寂を感じさせる場所です。1月中旬には、伝統的な祭事「鬼ばしり」が行われ、地元の人々に親しまれています。また、天台宗の教えを基盤に、多くの僧侶が学んできた歴史を持つ由緒ある寺院です。 創建と歴史 奈良時代の創建伝説...»
常楽寺は、滋賀県湖南市西寺に位置する天台宗系の単立寺院です。山号は阿星山で、本尊は千手観音を祀っています。同じ湖南市にある長寿寺の「東寺」に対して、「西寺」として知られており、湖南三山の1つに数えられています。 常楽寺の概要 常楽寺は、長寿寺や善水寺とともに「湖南三山」の一つであり、歴史的な価値を持つ寺院として知られています。特に、国宝に指定された本堂や三重塔がその象徴となっています。また、近江西国三十三箇所観音霊場の第1番札所にも指定され、観音信仰の中心的な存在です。 年中行事と祭事 常楽寺では、1月中旬に行われる「鬼ばしり」という祭事が有名です。この祭事は厄払いとして地域に伝わる行...»
滋賀県湖南市に位置する善水寺は、天台宗の寺院であり、山号は岩根山(いわねさん)です。本尊は薬師如来で、湖南三山の1つとして常楽寺、長寿寺とともに数えられています。この寺は、奈良時代からの長い歴史を持ち、国家鎮護の道場として重要な役割を果たしてきました。 歴史的背景 創建の伝承 善水寺の正確な創建時期ははっきりしていませんが、伝承によると奈良時代の和銅年間(708年 – 715年)に元明天皇が国家鎮護の道場として建立し、和銅寺と称されていたとされています。その後、平安時代の初期に最澄が入山し、池から出現した薬師如来を本尊として祈祷を行い、寺は天台宗の寺院に改められました。 最澄と善水寺 ...»
白山神社(はくさんじんじゃ、しらやまじんじゃ)は、滋賀県湖南市東寺に位置する神社です。古くは村社で、現在も地域の守り神として崇拝されています。境内は長寿寺に隣接しており、その歴史と共に歩んできました。 歴史 白山神社は奈良時代に、天台宗の長寿寺の鎮守社として建立されました。長寿寺沙門の貞海阿闍梨が勧請し、白山権現として祀られたと伝えられています。寿永2年(1183年)には、源頼朝が長寿寺と共に本社を再興しました。 明治時代に行われた神仏分離により、白山神社は長寿寺から独立しましたが、現在も長寿寺の境内内にあり、社殿は長寿寺の本堂の南に隣接しています。鎮守社としての役割は今でも続き、村社と...»
吉御子神社は、滋賀県湖南市に位置する由緒ある神社です。式内社として古くから崇敬を集め、旧社格は村社に属しています。本殿は京都の上賀茂神社から移築されたもので、国の重要文化財にも指定されています。 神社の歴史 吉御子神社の創建は、社伝によれば崇神天皇の時代(紀元前30年)に神の降臨があり、垂仁天皇2年(紀元前28年)に宇加之彦の子である吉彦命(よしひこのみこと)と吉姫命(よしひめのみこと)を「谷黒の御前」に祀ったことに始まると伝えられています。その後、弘仁2年(811年)の災害により、町が東西に分社され、現在の吉御子神社は西側の社にあたります。 現在の本殿は、1864年(元治元年)に社殿が...»
吉姫神社は、滋賀県湖南市に位置する格式ある神社で、古くからの歴史と伝統を誇ります。神社は式内社であり、旧社格は村社に属します。男神を祀る吉御子神社との対をなす女神の社として知られており、毎年行われる例祭や境内の湧水など、地元の人々にとって信仰の中心となる神社です。 境内の特徴 吉姫神社の境内には、万病に効果があるとされる「宮前の湧水」が湧いており、多くの参拝者がこの水を求めて訪れます。また、神社に保存されている木造の狛犬は南北朝時代に作られたと言われ、歴史的な価値が高いものです。この狛犬の愛らしい表情は、参拝者を和ませる魅力を持っています。 湧水「宮前の湧水」 境内に湧き出る「宮前の湧...»
東海道石部宿歴史民俗資料館は、滋賀県湖南市の雨山文化運動公園内に位置し、東海道五十三次の51番目の宿場である「石部宿」とその街道文化をテーマに展示を行う施設です。ここでは、石部宿の街並みを再現した「石部宿場の里」に隣接し、宿場町の歴史や文化を今に伝えています。 概要 この資料館は、1985年に「石部歴史民俗資料館」の名称で旧石部町によって開館しました。その後、2004年の合併により湖南市の施設となり、現在の名称である「東海道石部宿歴史民俗資料館」に改称されました。 施設は、雨山文化運動公園内にあり、東海道五十三次図や、かつて大名が使用していた網代駕籠、関札、宿帳などの歴史的資料を展示して...»
石部宿場の里は、滋賀県湖南市の雨山文化運動公園内に位置し、江戸時代の東海道五十三次における51番目の宿場町「石部宿」を再現した都市公園です。1985年にオープンし、往時の街並みを再現したテーマパークとして、多くの観光客に親しまれています。 江戸時代の街並みを再現 石部宿場の里では、江戸時代の石部宿の街並みが見事に再現されています。関所の門や農家、旅籠(はたご)、商家、茶店、蔵、そして八石教会所など、当時の宿場町に存在した建物が忠実に復元されており、江戸時代の雰囲気を感じることができます。それぞれの建物は内部を公開しており、江戸時代の生活を知るための民俗資料が展示されています。 テーマパー...»