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柏木神社(甲賀市)

(かしわぎ じんじゃ)

柏木神社は、滋賀県甲賀市水口町に位置する歴史ある神社です。旧社格は県社で、地元の信仰を集めています。長い歴史を持ち、古くから地域の守護神として崇敬を受けてきました。

神社の概要

柏木神社は、滋賀県甲賀市の水口町にある神社で、歴史的な建造物と自然が調和する場所です。境内には、さまざまな建物や文化財が点在しており、訪れる人々に静かな佇まいを提供しています。神社は古くから地元の豪族や領主たちの崇敬を受け、その歴史的価値からも注目されています。

歴史

創建と発展

社伝によると、柏木神社の起源は白鳳元年(673年)に遡ります。この年、日吉宮と称して大己貴命を祀ったことが神社の始まりとされています。建久元年(1190年)、源頼朝が上洛した際、鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を合祀し、多くの神田を寄進しました。その後、若宮八幡宮、柏木若宮社と呼ばれるようになりました。

公家と荘園

京の公家である飛鳥井大納言が荘園として柏木御厨を営み、その縁により飛鳥井氏の子孫が神職を務めるようになりました。柏木神社は、柏木・伴谷地域に広がる伊勢神宮領の柏木御厨の惣社としても重要な役割を果たしました。また、地域を支配した山中氏、美濃部氏、伴氏(柏木三方中)の有力な土豪たちの信仰も集めました。

織田信長の攻撃とその後

天正8年(1580年)、織田信長の軍勢が当地を攻めた際、柏木神社は大きな被害を受けました。旧楼門は安土の摠見寺に移築され、銘木は持ち去られ、宝物や古文書、主要な建物は焼失しました。しかし、寛永9年(1632年)、水口城が築かれた際には、城主により守護神として再び崇敬され、以後、歴代城主の祈願所となりました。

近代の発展

1871年(明治4年)、神社の名称は柏木神社に改められました。その後、1876年(明治9年)に村社、1922年(大正11年)に郷社、1945年(昭和20年)には県社に昇格しています。

祭神

柏木神社の主祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)です。さらに、配祭神として誉田別命(ほんだわけのみこと)と川島皇子(かわしまのみこ)も祀られています。これらの神々は、地域の守護神として多くの人々から信仰を集めています。

境内の建造物

本殿

柏木神社の本殿は、木造三間社流造(さんげんしゃながれづくり)で、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根が特徴です。格式ある造りが、長い歴史を物語っています。

中門拝殿

享保15年(1730年)に再建された入母屋造の拝殿は、荘厳な雰囲気を持ち、参拝者を迎え入れます。

稲荷神社・大行神社

境内には、稲荷神社や大行神社もあり、地域の多くの人々から信仰されています。

楼門

承応3年(1654年)に建てられた楼門は、蒲生郡中山村(現在の日野町中山)の金剛定寺の旧門と伝わります。この楼門は歴史的にも価値が高く、建築の美しさも見どころです。

その他の建造物

文化財

滋賀県指定有形文化財

柏木神社には、滋賀県指定の有形文化財が数多く残されています。中でも、以下の文化財が特に重要です。

絹本著色不動明王二童子像

鎌倉時代に作られた絹本著色の不動明王二童子像は、精緻な技術で描かれた貴重な作品です。この像は、長い間大切に保存されており、神社の信仰の歴史を伝える重要な文化財です。

起請文

大永14年(1534年)に書かれた起請文は、神社の歴史を物語る貴重な文書です。この文書には、当時の信仰や社会の状況が記されており、歴史研究の資料としても重要視されています。

その他の宝物

柏木神社には、火矢や連歌、詩歌などの文化的遺産も多く残されており、特に近江八景に関連する飛鳥井氏の作品は注目されています。

見どころ

参道と鳥居

柏木神社への参道は、緑豊かな風景に包まれた静寂な道で、訪れる人々を厳かな雰囲気で迎えます。鳥居をくぐると、神聖な空間が広がり、日常の喧騒を忘れさせてくれます。

楼門と回廊

楼門は、その美しい彫刻と壮大な造りが魅力です。また、楼門に続く回廊は、古代からの信仰の場として大切にされてきた歴史を感じさせる場所です。

本殿と拝殿

柏木神社の本殿と拝殿は、格式高い造りが特徴です。特に拝殿は、参拝者が祈りを捧げる場所であり、厳かな雰囲気に包まれています。

土塁

かつての防御施設であった土塁は、神社の周囲に今も残されており、歴史的な風景を感じさせます。これらの遺構は、神社の防御力の高さを示すものです。

まとめ

柏木神社は、長い歴史を持つ滋賀県甲賀市の神社で、地域の守護神として深い信仰を集めています。多くの文化財が残されており、訪れる人々に神聖な雰囲気と歴史的な価値を提供しています。

Information

名称
柏木神社(甲賀市)
(かしわぎ じんじゃ)

甲賀・信楽

滋賀県