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油日神社

(あぶらひ じんじゃ)

油日神社は、滋賀県甲賀市甲賀町油日にある神社です。国史見在社で、旧社格は県社に位置し、神社名の由来となる「油日大神」は勝軍神として古くから武士たちの崇敬を受けてきました。また、「油」の名が示す通り、火の神としても信仰を集めています。油日岳を神体山とし、その山頂には罔象女神(みずはめのかみ)を祀る岳神社も鎮座しています。神紋は木瓜に二ツ引とされています。

概要

油日神社の所在地は、滋賀県甲賀市甲賀町油日です。甲賀市には同名の「油日神社」がもう一つ存在し、そちらは甲賀市甲南町上馬杉に位置しています。本項では甲賀町油日にある油日神社について詳しく解説します。

歴史

創祀の由来

油日神社の創建年代ははっきりとはわかっていませんが、用明天皇または天武天皇の時代に創祀されたと伝えられています。この神社の由来について、伝承によれば、油日岳の山頂に「油の火のような光」とともに神が降臨し、そこから「油日」という名がついたとされています。また、聖徳太子がこの地に社殿を建立し、油日大明神を祀ったという説も伝わっています。

国史における初見

油日神社の国史における初見は『日本三代実録』であり、元慶元年(878年)の12月3日(現在の1月9日)に「近江国正六位上、油日神に従五位下の神階を授ける」という記述が見られます。さらに、『延喜式神名帳』には甲賀郡にある「川枯神社二座」と記載されているものが油日神社であるという説もありますが、これについては確定的な証拠はなく、意見が分かれています。

中世からの信仰と神仏習合

中世には、油日神社は「甲賀の総社」として広く信仰され、特に甲賀武士たちが聖徳太子を軍神として崇めていました。また、長らく神仏習合が行われており、神社の神宮寺として「油日寺」(後に「金剛寺」と改名)が存在していました。しかし、明治時代の神仏分離政策により、油日神社と油日寺は分離し、油日寺は「神宮寺」として独立しました。それでもなお、神社には多くの仏教に関連する文化財が残されています。

社格と発展

1906年(明治39年)には県社に列格し、その後1911年(明治44年)には、村内の10社を境内社として合祀しました。

祭神

主祭神

油日神社の主祭神は、油日大神(あぶらひのおおかみ)です。この神は火の神、そして勝利をもたらす勝軍神として信仰されています。

東相殿と西相殿

また、東相殿には罔象女神(みずはめのかみ)、西相殿には猿田彦神(さるたひこのかみ)が祀られています。

境内

本殿(重要文化財)

本殿は1493年(明応2年)に再建されました。三間社流造で、檜皮葺の構造です。この建物は重要文化財に指定されています。

中門と拝殿(重要文化財)

中門と拝殿は安土桃山時代に再建され、檜皮葺の入母屋造となっています。

廻廊(東廻廊・西廻廊、重要文化財)

廻廊は永禄9年(1566年)に建てられ、東廻廊と西廻廊がそれぞれ重要文化財に指定されています。どちらも檜皮葺の建物です。

楼門(重要文化財)

楼門も同じく永禄9年に建造され、入母屋造で檜皮葺の屋根が特徴的です。この建物も重要文化財に指定されています。

その他の神社と建築物

境内には他にも以下の神社や建築物が存在します。

鐘楼(甲賀市指定有形文化財)

鐘楼には甲賀市指定有形文化財である梵鐘が釣られています。この鐘は元和6年(1620年)に寄進されたもので、甲賀の歴史的な名残を感じさせる文化財の一つです。

文化財

重要文化財

油日神社には、以下の建築物や物品が重要文化財として指定されています。

国指定史跡

油日神社の境内は、国指定の史跡である「甲賀郡中惣遺跡群」に属しています。

国選択無形民俗文化財

油日神社で行われる「油日の太鼓踊り」は、国選択の無形民俗文化財としても知られ、保存会によって伝承されています。

滋賀県指定有形文化財

さらに、滋賀県指定有形文化財として「福太夫神面 1面 附:ずずい子 1躯」があり、貴重な文化財とされています。

祭事

例祭(油日まつり)

油日神社の例祭は毎年5月1日に行われ、太鼓踊りなどの伝統的な儀式が催されます。この太鼓踊りは国の選択無形民俗文化財に指定されており、地域の人々によって大切に守られてきました。

奴振り

奴振りは県の選択無形民俗文化財としても認められており、保存会によってその伝統が受け継がれています。

アクセス

油日神社へのアクセスは以下の通りです。

この神社は、歴史的な文化財や自然を楽しみながら訪れることができるスポットであり、多くの観光客に親しまれています。

Information

名称
油日神社
(あぶらひ じんじゃ)

甲賀・信楽

滋賀県