田村神社は、滋賀県甲賀市土山町にある由緒ある神社です。旧社格は県社であり、その歴史は古く、地域の信仰の中心として大きな役割を果たしてきました。また、神社の参道はかつての東海道の一部であり、現在も多くの参拝者や観光客が訪れる場所です。境内には、歴史的な建物や文化財が点在し、特に毎年2月18日を中心に開催される「厄除大祭」で知られています。
田村神社の歴史は、垂仁天皇45年4月8日に甲可翁が天照大神を奉じ、甲可日雲宮に祀ったことに始まります。ここで祀られた倭姫命の生霊を鎮祭し、高座大明神と称されたのが当社の起源です。
その後、平安時代に入ると、坂上田村麻呂が嵯峨天皇の命を受けて鈴鹿峠の悪鬼を平定し、その際に残っていた矢を放って「この矢の功徳で万民の災いを防ごう」と言い残しました。その矢が落ちた場所に神社の本殿が建てられたと伝えられています。さらに、田村麻呂の没後、嵯峨天皇の勅命によって彼を祀る社が鈴鹿峠に建立され、これにより田村神社は厄除の神としても広く崇敬されるようになりました。
また、田村麻呂が交通の安全を守った功績から、交通安全の神としても信仰を集めています。弘仁13年(822年)には、田村麻呂を祀る社が現在の場所に移され、高座田村大明神と改称されました。
田村神社は、江戸時代を通じて坂上田村麻呂の子孫である一関藩主田村氏によって篤く崇敬されていました。寛永15年(1638年)には、後水尾天皇から「正一位田村大明神」の勅額が下賜され、神社の格が一層高まりました。また、かつては田村神社に付属する神宮寺が存在し、千手観音が本地仏として祀られていましたが、明治時代の神仏分離令により神宮寺は解体され、千手観音は別の寺院に移されました。
その後、1872年(明治5年)に神社の名称は「高座神社」に改められ、1887年(明治20年)に再び「田村神社」と改称されました。さらに、1907年には鈴鹿峠にあった別の田村神社が三重県亀山市の片山神社に合祀されました。
田村神社の主祭神は坂上田村麻呂公、嵯峨天皇、倭姫命です。坂上田村麻呂公は、鈴鹿峠の悪鬼を討伐し、交通の安全を守った武将として知られ、嵯峨天皇はその時代の天皇として、倭姫命は天照大神を祀った人物として崇敬されています。
田村神社には、他にも稲倉魂命、大己貴命、国狭槌尊、大山咋神、荒魂が配祀されています。これらの神々は、それぞれ農業や自然、国土を守る神として広く信仰されています。
田村神社の境内には、本殿をはじめとする多くの重要な建物や神社があります。中でも、吉崎稲荷社や天満神社は地域の信仰の象徴として重要な役割を果たしています。
田村神社では、年間を通じて多くの祭事が行われています。中でも厄除けの大祭「田村まつり」は、毎年2月17日から19日にかけて行われ、多くの参拝者が訪れます。また、7月には「万灯祭」や「大忌祭」などが開催され、地域の伝統行事として重要な役割を果たしています。
田村神社の境内には、歴史的な名所や旧跡が点在しています。特に有名なのが、田村永代板橋と厄落し太鼓橋です。歌川広重の『東海道五十三次』「春の雨」にも描かれたこの場所は、観光スポットとしても人気があります。また、2005年に再建された「海道橋」も見どころの一つです。
田村神社へは、甲賀市コミュニティバス(あいくるバス 土山本線)を利用して「田村神社前」バス停で下車すると、すぐに到着します。最寄り駅は貴生川駅で、そこからバスで約30分です。
自家用車を利用する場合、国道1号線沿いにあり、アクセスが便利です。駐車場も完備しており、国道を挟んで道の駅「あいの土山」が近くにありますので、観光や食事の立ち寄りにも便利です。