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馬路石邊神社

(うまじ いそべ じんじゃ)

馬路石邊神社は、滋賀県守山市に位置する古社で、格式高い式内社として知られています。旧社格は郷社で、神紋は「木瓜」。歴史的にも、地域の文化や信仰に深く根ざしており、重要な役割を果たしてきました。

神社の概要

馬路石邊神社は、主に2柱の神を祀る古社で、主祭神として建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)大己貴命(おおなむちのみこと)が祀られています。これらの神々は、農業、商業、国土開拓などに関わる重要な神とされています。

所在地

神社の所在地は、滋賀県守山市吉身4丁目4-1。最寄り駅であるJR西日本琵琶湖線の守山駅から徒歩約15分とアクセスが良好です。参拝者は気軽に訪れることができます。

祭神

馬路石邊神社の主祭神は以下の2柱です:

神社の歴史

創祀の歴史

馬路石邊神社の創祀は、天武天皇の時代に遡ります。白鳳3年(663年)に創祀され、その後、朱鳥元年(686年)に大己貴命を合祀したとされています。この神社は、古代の豪族である石辺君氏が氏神として祀ったことにより、地域の信仰の中心となっていきました。

平安時代から戦国時代まで

平安時代中期には、『延喜式神名帳』に「近江国野洲郡 馬路石邊神社」として記載され、式内社に列しています。中世には田中荘の鎮守社として「田中大明神」や「田中天王社」とも呼ばれ、地域の信仰において重要な役割を果たしてきました。

戦国時代には六角氏からの崇敬を受けていましたが、元亀・天正の争乱により社殿などを失うこととなりました。その後、江戸時代に再建が行われ、現在の社殿は文久2年(1862年)に造営されたものです。

明治以降の発展

明治時代に入り、近代社格制度において馬路石邊神社は村社に列し、その後、明治14年に郷社に昇格しました。これにより、神社としての格式がさらに高まり、地域の信仰の場としての地位を確立しました。

境内の見どころ

現在の社殿

現在の社殿は文久2年(1862年)に再建されたもので、歴史的な価値を持っています。美しい造りの社殿は、古代から続く信仰と伝統を感じさせ、参拝者に神聖な雰囲気を提供しています。

拝殿

拝殿は、参拝者が主祭神に祈りを捧げる場所として重要な役割を果たしています。格式ある佇まいで、訪れる人々に荘厳な雰囲気を与えます。

神門と鳥居

神社の象徴とも言える神門や鳥居は、神社の入り口として神聖な空間に入る前の重要な場所です。鳥居をくぐることで、日常から離れ、神域に足を踏み入れる感覚を味わうことができます。

神輿塚

参道途中には、神輿を埋めたとされる「神輿塚」が立っています。この塚は、古来から伝わる神輿の保管場所であり、信仰の歴史を物語る重要な場所です。

摂末社

境内にはいくつかの摂末社があり、これらは神社の周辺に住む人々が崇敬する神々を祀っています。主な摂末社は以下の通りです:

主な祭事

馬路石邊神社では、毎年5月4日に例祭が行われ、地域の伝統行事である豊年踊の奉納が行われます。豊年踊は、五穀豊穣を祈願する舞であり、地域の住民によって大切に守られている行事です。この祭事は、古くからの伝統が息づいており、訪れる人々に地域の文化と信仰を感じさせます。

アクセス情報

馬路石邊神社へのアクセスは、JR西日本琵琶湖線の守山駅から徒歩約15分と便利です。公共交通機関を利用しても容易に訪れることができ、観光客や参拝者にとってもアクセスしやすい立地にあります。

まとめ

馬路石邊神社は、古くから地域の信仰の中心であり、多くの歴史的価値を持つ神社です。主祭神である建速須佐之男命や大己貴命を祀り、地域の人々の信仰の場として大切にされてきました。また、摂末社や豊年踊の奉納など、多様な文化と伝統を感じることができる場所です。

滋賀県守山市を訪れた際には、ぜひこの由緒ある神社を訪れ、歴史と文化に触れることをお勧めします。

Information

名称
馬路石邊神社
(うまじ いそべ じんじゃ)

草津市・守山

滋賀県