小槻大社は、滋賀県栗東市下戸山にある格式ある神社です。この神社は式内社に指定され、かつての旧社格は郷社でした。神紋として「下り藤」と「真向の兎」が使われ、境内ではユネスコ無形文化遺産に登録された「近江湖南のサンヤレ踊り」が行われることで有名です。
小槻大社は、滋賀県栗東市に位置し、古代からこの地を守る神社として知られています。豪族・小槻山君(小槻氏)の祖先である於知別命(おちわけのみこと)を祀る神社として創建されました。周辺には多くの古墳が点在し、古代の歴史が今でも感じられる場所です。
小槻大社では2柱の神が祭られています。
11世紀初頭には、木造男神坐像2躯が作られ、伝承されている神々の姿を今に伝えています。
創建年代は不明ですが、栗太郡(現在の草津市・栗東市一帯)の豪族であった小槻山君が、自身の祖神である於知別命を祀ったことがこの神社の起源とされています。小槻山君は朝廷に采女を献上するなど、朝廷とも深い関わりを持っていました。
貞観15年(873年)には小槻氏は平安京に移り、中央で活躍するようになります。それに伴い、小槻大社も朝廷から崇敬を受け、神階が次第に上昇していきました。927年に成立した『延喜式』には近江国栗太郡に「小槻大社」として記載されており、同じく栗太郡にあった小槻神社(現・草津市青地町)と共に式内社に列しました。
小槻氏が中央に移った後は、地元の青地氏がこの神社を保護し、社殿の整備が行われました。1281年には青地基氏が本殿内陣の宮殿を新造し、1343年には青地重頼によって四脚門が造営されました。これらの社殿は戦国時代に再建され、現在の本殿は1519年に青地元真によって再建されたものです。
小槻大社の本殿は、室町時代後期に再建された一間社流造で、檜皮葺の屋根が特徴です。太い木材を使用し、装飾が少ないものの、古式の舟肘木を採用するなど、雄大で質実剛健な建築です。本殿の内部には木造の男神坐像2躯が安置されています。この像は、弘安4年(1281年)の宮殿に収められており、いずれも重要文化財に指定されています。
境内には、小槻大社古墳群と呼ばれる古墳時代中期から後期にかけての古墳が複数存在します。最大規模の1号墳は直径25メートルの円墳で、横穴式石室の遺構が確認されています。これらの古墳は、小槻山君一族の墓であったと推測されています。
毎年5月5日に行われる小槻大社の例祭は「小杖祭り」と呼ばれ、花傘踊りが奉納されます。この祭りは、かつて卯月初卯日で行われていましたが、現在では5月5日に斎行されています。古くは「榊本家」と呼ばれる有力家が担っていたとされる花傘踊りは、現在では5地域の輪番制で行われています。
ユネスコ無形文化遺産にも登録されている「近江湖南のサンヤレ踊り」は、小槻大社で行われる風流踊の一つです。踊り手は華やかな衣装を身にまとい、花傘を持ちながら舞う様子が特徴的です。この踊りは、かつての太鼓踊りが風流化したものであり、現在でも地域の伝統として守り続けられています。
小槻大社の境内には、いくつかの摂末社が鎮座しています。八坂社(祇園社)と日吉社(山王社)は本殿の左右に位置し、稲荷社は参道の横にあります。また、龍王社は境内の古墳上に鎮座しており、神々の守護を受けています。
小槻大社の境外には、栗東市下戸山にある十二将神社が鎮座しています。この神社の境内は、かつて天台宗の楽音寺(覚音寺)の跡地とされており、伝説的な場所として訪れる人々が絶えません。
小槻大社を訪れる際には、古代から続く神社の歴史と、周囲に残る古墳群をぜひ見学してみてください。境内に広がる緑と静寂の中、古代豪族の息吹を感じることができるでしょう。また、花傘踊りやサンヤレ踊りなどの文化遺産も見逃せません。
栗東市は滋賀県内でも自然豊かな地域で、小槻大社以外にも多くの観光スポットがあります。周辺には岡遺跡や地山古墳といった歴史的な遺跡があり、古代史好きにはたまらない観光地です。神社参拝後は、これらの遺跡を巡りながら、地域の歴史に浸る旅を楽しむことができます。
小槻大社は、滋賀県栗東市にある歴史深い神社で、古代から続く豪族・小槻山君との結びつきを感じさせます。重要文化財に指定された本殿や、古墳群、そして地域に根付く伝統文化が融合したこの場所は、日本の歴史と文化