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三上山(近江富士)

(みかみやま)

三上山は、滋賀県野洲市三上にある標高432メートルの山です。この山は「近江富士」とも呼ばれ、その優美な姿が富士山に似ていることから名付けられました。ふもとには、この山を神体山として祀る御上神社や、滋賀県内最大規模の公園である希望が丘文化公園が広がっています。

概要

三上山は特徴的な円錐形の姿から「近江富士」と呼ばれ、標高432メートルとそれほど高くないにもかかわらず、周辺の平野部にぽつんとそびえる残丘として非常に目立つ存在です。このような形状の山は、浸蝕によって周囲の地形から取り残されて形成された丘陵であり、専門用語でモナドノック(英: Monadnock)と呼ばれます。そのため、山の高さに比べて目立ち、遠く琵琶湖を挟んだ湖西地方からもその姿を望むことができます。

登山道

三上山には、西側からの表登山道裏登山道、東側からの花緑公園側登山道があり、訪れる登山者はそれぞれのルートから山頂を目指します。標高は432mと比較的低いですが、急な坂道が続くため、しっかりとした装備が必要です。山頂からは琵琶湖や野洲市内の美しい景色を一望することができ、多くのハイカーに親しまれています。

歴史的背景

三上山は、古くから神聖視されてきた山であり、『古事記』や『延喜式』にもその名前が見られます。また、和歌や文学作品にも頻繁に登場し、特に紫式部が詠んだ和歌「打ち出でて 三上の山を 詠れば 雪こそなけれ 富士のあけぼの」は有名です。この和歌にちなんで「近江富士」という愛称が広まりました。

大ムカデ退治伝説

さらに、三上山には藤原秀郷(俵藤太)が大ムカデを退治したという伝説が残されています。この伝説に由来して、「ムカデ山」とも呼ばれることがあります。この物語は、地域の人々に長年語り継がれており、現在でも地元の文化や歴史の一部として大切にされています。

織田信長と三上山の荒廃

中世以降、三上山を含む周囲の山々では、燃料や資源を得るための伐採が進み、次第に山は荒廃していきました。特に、織田信長が上洛した際には、街道沿いから見える三上山の伐採された光景に驚き、街道から見えない部分のみ伐採を許すよう指示を出したと言われています。

徳川秀忠による植林事業

1615年(元和元年)、徳川秀忠が大坂の陣からの帰途に三上山の荒廃を目撃し、勘定奉行の伊丹康勝に命じて山の植林と保護を開始しました。1619年(元和4年)から、マツやクリ、アオギリなどの樹木が植えられ、1658年(万治元年)には植栽された木々の間伐が行われました。その後、間伐材は野洲川の護岸や土砂止めに使用されました。また、マツタケの発生が見られるようになり、その収益は御上神社の修理費用に充てられました。

松尾芭蕉の詠んだ三上山

三上山の青々とした山容は、その後も保たれ続け、ランドマークとしての存在感が増していきました。著名な俳人松尾芭蕉も「三上山のみ夏知れる姿かな」と詠んでおり、四季折々の風景とともに人々の心に残る存在となっています。

交通アクセス

三上山へのアクセスは非常に便利で、公共交通機関や自家用車での訪問が可能です。

最寄り駅とアクセス方法

最寄りの鉄道駅は、JR東海道本線の野洲駅で、駅から三上山のふもとまでは約2kmの距離にあります。駅からは徒歩やタクシー、あるいはバスで簡単にアクセスできるため、地元の人々だけでなく観光客にも人気のスポットです。

車でのアクセス

車で訪れる場合、名神高速道路の栗東インターチェンジが最寄りのインターチェンジとなり、ここから国道8号線や滋賀県道27号線を経由して山麓に向かうことができます。駐車場も整備されているため、登山や観光を楽しむ際には便利です。

関連作品

三上山は、その歴史的背景や美しい風景から多くの作品に登場しています。特に注目されるのは、赤神諒による歴史小説『神遊の城』(2018年)です。この作品は、三上山を舞台にした壮大な物語であり、多くの読者に親しまれています。

まとめ

三上山は、歴史、文化、自然が見事に調和した名山であり、その美しい風景と豊かな伝説は多くの人々を魅了しています。近江富士としても知られるこの山は、登山だけでなく、歴史探訪や自然観察の場としても魅力的です。アクセスも良好で、季節を問わず多くの人々が訪れる場所となっています。ぜひ、三上山の美しさと歴史を堪能しに訪れてみてはいかがでしょうか。

Information

名称
三上山(近江富士)
(みかみやま)

草津市・守山

滋賀県