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兵主大社

(ひょうず たいしゃ)

兵主大社は、滋賀県野洲市にある格式高い神社です。正式名称は「兵主神社」ですが、一般的には「兵主大社」と呼ばれています。これは、全国にある「兵主」の神を祀る神社の中でも、特に重要な位置づけにあるためです。式内社(名神大社)として、古くからの歴史とともに深い信仰を集めてきた神社です。

神社の概要

兵主大社は、日本全国に約50社存在する「兵主」の神を祀る神社の一つで、延喜式神名帳には19社が記載されています。その中でも、名神大社に列せられているのは、当社と大和国の穴師坐兵主神社、壱岐国兵主神社の三社のみです。さらに、2015年4月24日には「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産」の一部として日本遺産に認定されています。

祭神について

主祭神

兵主大社の主祭神は八千矛神(大国主神)です。この神は豊穣や国土の守護神として、古代より多くの人々に崇敬されてきました。

配祀神

また、兵主大社では手名椎神足名椎神も祀られており、これらの神々は農耕や家内安全の守護神として信仰されています。

兵主大社の歴史

社伝「兵主大明神縁起」によると、景行天皇58年、天皇の命により、皇子・稲背入彦命が大和国の穴師(現・奈良県桜井市)に八千矛神を祀ったのが兵主大神信仰の始まりとされています。やがて、近江国・高穴穂宮への遷都に伴い、稲背入彦命は社地を穴太(滋賀県大津市)に移し、その後、養老2年(718年)には現在の場所に社殿が建立されました。

中世になると、「兵主」の名が「つわものぬし(兵士の主)」と読まれることから、武士たちに厚く信仰されるようになります。源頼朝や足利尊氏をはじめとする多くの武将が、兵主大社に神宝を寄進した記録が残されています。江戸時代には、徳川将軍家からも社領の寄進を受けるなど、神社はますます栄えました。

境内の見どころ

本殿

兵主大社の本殿は、江戸時代に再建されたもので、現在は野洲市の指定文化財となっています。重厚な造りと荘厳な佇まいは、歴史の長さと神社の重要性を感じさせます。

楼門

楼門は天文19年(1550年)に再建され、滋賀県の指定文化財に指定されています。この楼門は、足利尊氏の寄進によるものと伝えられており、社の歴史的な価値を象徴する建造物です。

庭園

兵主大社には、国指定名勝の庭園もあり、平安時代後期に作庭されたといわれています。池泉回遊式庭園で、季節ごとの美しい景観を楽しむことができ、多くの参拝者や観光客が訪れる人気スポットです。一般的には300円の入園料が必要ですが、団体割引もあります。

摂末社

境内には、主祭神に関連する摂末社も点在しています。手名椎社足名椎社乙殿神社などがあり、これらの社も多くの参拝者に崇拝されています。

手名椎社

祭神は手名椎神で、農業の神として信仰されています。

足名椎社

祭神は足名椎神で、家内安全や足腰の健康を守る神として信仰されています。

重要文化財

白絹包腹巻(南北朝時代)

国指定の重要文化財として、南北朝時代に作られた白絹包腹巻(よろいの一種)があり、これには鍍銀籠手金具や茜威喉輪などの附属品も含まれています。これらは京都国立博物館に寄託されています。

錦包箙

室町時代の作である「錦包箙」も国の重要美術品に認定されています。これには黒漆矢6隻が附属しており、鎌倉時代や室町時代の武具の貴重な資料となっています。

文化財と名勝

兵主大社には、数々の文化財や名勝が存在します。特に、国指定名勝である庭園は有名で、四季折々の美しい景色を楽しめます。また、南北朝時代から鎌倉時代にかけての彫刻や工芸品も多数あり、歴史愛好家や文化財に興味のある方にとっても見どころが多い神社です。

アクセス情報

兵主大社へのアクセスは、JR西日本東海道本線(琵琶湖線)野洲駅からバスを利用するのが便利です。南口からは野洲市コミュニティバスで五条自治会館停留所下車後、徒歩3分。北口からは近江鉄道バスで兵主大社前停留所下車後、徒歩5分ほどで到着します。また、普通車40台、大型車5台分の駐車場が完備されており、自家用車でのアクセスも可能です。

見学案内

境内は自由に見学が可能で、庭園の見学は有料となっています。庭園のみの見学は一般300円、学生200円で、団体(10名以上)割引もあります。また、庭園と収蔵庫の見学は予約が必要で、一般500円、学生300円、団体割引は400円です。

Information

名称
兵主大社
(ひょうず たいしゃ)

草津市・守山

滋賀県