小槻神社は、滋賀県草津市青地町に位置する神社です。古代から続く格式の高い神社であり、式内社としても知られ、旧社格は郷社です。神紋は「下り藤」で、独特の風格を持っています。
小槻神社は、滋賀県草津市青地町にあり、地域に深く根付いた信仰の場です。周辺には志津池や青地城跡があり、歴史的背景を感じることができます。
神社の入り口には立派な鳥居があり、訪れる人々を迎えます。境内には多くの摂末社があり、参拝者がそれぞれの神々に手を合わせることができます。
小槻神社の祭神は次の2柱です。
「落別命」または「祖別命」とも表記され、第11代垂仁天皇の皇子であり、小槻山君(小槻氏)の祖とされています。文献によっては「息速別命」とも記載されていますが、息速別命は於知別命の異母兄弟にあたります。
中世に合祀された藤原氏の祖神であり、近隣に存在した金勝庄が藤原氏の氏神である春日大社の領地だったことと関連が指摘されています。
小槻神社は古代に栗太郡(現在の草津市・栗東市一帯)の豪族である小槻山君(小月山公)が祖神として於知別命を祀ったことが始まりとされています。小槻山君は朝廷に仕えており、栗太郡郡司クラスの家柄だったと推測されています。
『延喜式』神名帳(927年成立)では、近江国栗太郡の「小槻神社」として記載され、関係社の小槻大社(栗東市下戸山)とともに式内社に列しています。社名の読みは「ヲツキノ」とされ、古くからこの地に根付いた信仰を伝えます。
社伝によれば、貞観2年(860年)に「正一位 小槻大明神」の宣旨を受けたとされ、天徳3年(959年)には現在の志津池付近に遷座したと伝わっています。この際、小槻大社の「小杖宮」に対して「池の宮(池宮)」と称されました。
延慶・宝暦年間の2度にわたり、社殿と神宝が焼失しましたが、室町時代から戦国時代にかけては青地氏からの崇敬を受け、社殿の寄進や修繕が行われました。また、例祭には城中に神輿が渡御するという重要な儀式が行われていました。
現在の小槻神社の境内は、戦国時代の青地城跡に隣接しています。本殿は三間社流造檜皮葺で、明治14年(1881年)に再建されたものです。拝殿は入母屋造で、こちらも同時期に建てられたものです。
かつて境内には古墳群があり、その出土品を使って現在の石垣が築かれたと言われています。この石垣が、神社の歴史的な重みを一層感じさせるものとなっています。
境内にはツブラジイの木がそびえ立ち、樹高18メートル、推定樹齢100年以上とされ、草津市の名木に指定されています。この巨木は神社の象徴としても親しまれています。
小槻神社の境内には、いくつかの摂末社が鎮座しており、それぞれが地域の信仰を集めています。
恵比須社には、事代主神が祀られています。玉垣の中に位置し、商売繁盛の神として多くの人々に親しまれています。
熊野社には、伊弉諾尊が祀られています。熊野信仰の影響を受け、地域の人々に厚く信仰されています。
日吉社には、大山咋神が祀られています。山の神としての信仰を集め、古くからの祭祀が続けられています。
貴布祢社には、高龗神が祀られており、天正6年(1578年)6月に勧請されたと伝えられています。
その他にも、龍王社(豊玉彦神)、八幡社(応神天皇)、野上社(草野比売神)などが鎮座しています。特に龍王社では、古くから雨乞いの儀式が行われていたことが伝えられています。
小槻神社には境外社も存在し、草津市内に点在しています。代表的な境外社としては、八幡宮神社、若宮神社、神明宮があります。
草津市馬場町に鎮座し、例祭は1月10日に行われます。
草津市岡本町に鎮座し、祭神は八意思兼命です。
草津市青地町に鎮座し、祭神は大倭姫命(天照皇大神と同一視)です。神社のある志津池脇には古代の遺構が残っており、歴史的価値が高い場所となっています。
小槻神社では、年間を通じて多くの祭事が行われています。特に注目すべき祭事は以下の通りです。
歳旦祭(1月1日) - 中祭として新年を祝います。龍神祭(1月15日)も行われ、地域の繁栄を祈願します。
節分祭(2月3日) - 節分の時期に豆まきなどが行われ、無病息災を願います。祈年祭(2月23日)は、大祭として豊作を祈る儀式です。
宵宮祭(5月2日)、例大祭(5月3日) - この例大祭は、年間を通じて最も大規模な祭りであり、地域住民や遠方からの参拝者で賑わいます。
大麻神札頒布式や大祓祭が12月に行われ、一年の締めくくりとして多くの人々が参拝します。
小槻神社は、地域の文化的な遺産を守り伝えており、神社自体が文化財としても重要です。また、社殿や摂末社も歴史的な価値を持っています。
志津池や青地城跡など、小槻神社周辺には多くの史跡が点在しており、地域の歴史を感じることができます。
小槻神社は、古代から続く歴史と信仰を大切にし、今もなお地域の人々に親しまれています。