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勝部神社

(かつべ じんじゃ)

勝部神社は、滋賀県守山市勝部に位置する神社です。正式名称は「物部郷総社 勝部神社」といい、戦前までは物部神社または物部大明神、勝部大明神として知られていました。旧社格は郷社であり、旧物部郷の総社として歴史的な重要性を持っています。

神社の概要

勝部神社は、守山市勝部1丁目8-8にあり、JR東海道本線(琵琶湖線)守山駅から徒歩約10分の場所に位置しています。周囲には豊かな自然が広がり、鎮守の森とともに神秘的な雰囲気を醸し出しています。神社の境内には顕彰殿や忠魂碑があり、郷土出身の戦没者を祀る場所としても機能しています。

顕彰殿と忠魂碑

顕彰殿と忠魂碑は、戦前に郷土出身の戦没者の霊を安めるために建立されました。これらの施設は、地域社会における戦没者の尊厳を象徴しており、歴史的な意義を持つ場所です。

勝部神社の歴史

創建と由来

勝部神社の起源は、大化5年(649年)8月13日、物部宿禰広国(もののべのすくねひろくに)が現在の勝部村に祖神を祀り、物部大明神と称したことに始まります。この神社は、物部郷に深く根付いた信仰の中心として存在してきました。

中世の発展と信仰

仁寿元年(851年)正月には正六位上を、元慶6年(882年)10月には従五位下の神位を授かるなど、勝部神社は古代より高い神格を持つ神社として崇拝されてきました。室町時代には、近江守護六角氏から篤い信仰を受け、六角軍が出陣する際には、当社の竹林の竹を旗竿に使用することが恒例となるほどの関係が築かれていました。

織田信長や豊臣秀次との関係

元亀年間(1570年 - 1573年)には、織田信長が野洲郡・栗太郡の起請文60通を当社に納めたと記されています。さらに、文禄3年(1594年)8月には豊臣秀次によって神田の寄進や本殿の修理が行われ、信仰の中心としての役割がさらに強化されました。

江戸時代から明治時代へ

江戸時代には、守山宿が当地に設けられ、宿場町の隆盛とともに勝部神社も繁栄しました。この時期まで、当社は物部神社または物部大明神と呼ばれていましたが、明治時代の初めに勝部神社と改称されました。また、1931年(昭和6年)には郷社に列せられています。

文化財としての重要性

勝部神社の本殿は、明応6年(1497年)に六角高頼の寄進によって再建されたもので、三間社流造、檜皮葺の建築様式を持っています。1913年(大正2年)には、国の特別保護建造物(現行法の重要文化財に相当)に指定されており、その建築的価値が認められています。

祭神と神社の信仰

主祭神と合祀神

勝部神社の主祭神は物部布津神(天火明命・宇麻志間知命・布津主神)であり、物部氏に縁の深い神々が祀られています。これに加え、住吉神や猿田彦命も合祀されています。これらの神々は、地域の人々から厚く信仰され、神社の中心として重要な役割を果たしています。

境内の見どころ

本殿(重要文化財)

勝部神社の本殿は、明応6年(1497年)に六角高頼によって再建されました。三間社流造、檜皮葺の建物で、室町時代の建築技術を今に伝える貴重な建造物として、国の重要文化財に指定されています。

境内のその他の建物

勝部神社の文化財

重要文化財

勝部神社の本殿は、室町時代に建てられた三間社流造、檜皮葺の建築物で、国の重要文化財に指定されています。この本殿は、戦乱や火災を経て再建された歴史的価値の高い建物です。

滋賀県選択無形民俗文化財

勝部神社では、毎年1月第2土曜日に「松明祭」(勝部の火祭り)が開催されます。この祭りは800年の歴史を持ち、滋賀県の三大火祭りの一つとして知られています。保存団体は「勝部神社松明組」であり、地元の人々が伝統を守り続けています。

アクセス情報

勝部神社は、JR東海道本線(琵琶湖線)の守山駅から徒歩約10分の距離にあります。駅からのアクセスが良好で、参拝者にとって便利な立地です。

Information

名称
勝部神社
(かつべ じんじゃ)

草津市・守山

滋賀県