大荒比古神社は、滋賀県高島市新旭町安井川にある格式の高い神社です。古くは「河内大明神」とも称され、歴史的にも由緒ある神社として知られています。現在も、地元の人々をはじめ多くの参拝者に親しまれており、特に例祭である「七川祭」が湖西地方で随一の祭りとして賑わいを見せます。
大荒比古神社の主祭神は次の2柱です:
また、配祀として以下の4柱も祀られています:
神社の神紋は「平四ッ目」が用いられています。
大荒比古神社の創建年代は明確ではありませんが、古代からの信仰の中心であり、平安時代に隆盛を迎えたとされています。鎌倉時代には地元の領主、佐々木高信が本領から祖神を勧請し、この神社に合祀しました。その後「河内大明神」として地主権現の称号を持ち、地域の信仰を集めていました。
戦国時代には兵乱により社殿が焼失しましたが、地元の氏子により再建され、祭祀が絶えることなく続けられました。江戸時代には、小浜藩士から石灯籠が奉納され、1810年に現在の社殿が建立されるなど、歴史的にも重要な神社として信仰されてきました。
七川祭(しちせんさい)は毎年5月4日に行われる大荒比古神社の例祭で、滋賀県無形民俗文化財に指定されています。この祭りは「奴振り」や「流鏑馬」などが特徴的で、湖西地方で最も賑わいを見せる祭りとして知られています。
「奴振り(やっこふり)」は、華やかな衣装を身にまとった男性がリズムに合わせて練り歩く姿が印象的で、滋賀県の無形民俗文化財にも選ばれています。観客に向けて愉快な警句を飛ばす樽振りも行われ、祭りの盛り上がりを一層引き立てます。
祭りの中で行われる流鏑馬は、鎌倉時代の領主佐々木信綱が祖神に祈願をかけ、戦勝の際には12頭の馬と的を奉納したのが始まりとされ、今でも伝統が受け継がれています。
8月中旬には、献灯祭が氏子青年会の主催により開催されます。この祭りは夏の風物詩として親しまれ、多くの人々が参加し、境内を賑わわせます。
大荒比古神社の本殿は三間社流造で、間口三間、奥行二間の構造を持つ、風格のある建造物です。
拝殿は入母屋造で、間口三間三尺、奥行三間三尺の広さを持ち、参拝者が集う神聖な場所となっています。
大荒比古神社には長い歴史を物語る社宝が多数あり、神社自体が地域の歴史と文化を伝える重要な存在となっています。
例祭「七川祭」の祭礼日は神事(祭儀)のみが行われ、御神輿や山車、露店などが別の日に出ることがあります。訪問の際には神社へ事前に確認することをおすすめします。
大荒比古神社へのアクセスは、地元の交通機関や車での移動が便利です。滋賀県高島市内からアクセスしやすい位置にあり、訪問者に親しみやすい観光地として整備されています。