波爾布神社は、滋賀県高島市新旭町饗庭に位置する由緒ある神社です。この神社は「土生大明神」や「土生さん」とも呼ばれ、古くから地域の人々に親しまれてきました。
波爾布神社は、旧饗庭村と旧新儀村の一部を合わせた計17地区の御社とされ、地域の信仰の中心としての役割を果たしています。高島郡内でも特に古い神社であり、近世初期の新旭町において最も古い建築物とされています。土生大明神としても知られ、この地の自然を神格化し、山や水を祀る風習に由来すると考えられています。
現在の本殿は、元和10年(1624年)に再建されたもので、大規模な三間社流造を採用しています。向拝一間、銅抜茸で構成され、中世の風格を今に伝える堅実な建築技術が見られます。後土御門天皇の明応5年に勅旨により社殿が再建され、かつて失われた領地も復興されました。これにより、戦国時代に失われていた社禄が再び認められ、地域での存在感が増しました。
波爾布神社の主祭神は「波爾山比賣命(はにやまひめのみこと)」と「彌都波能賣神(みつはのめのかみ)」です。波爾山比賣命は、古代より土生(はぶ)の地で祀られてきたと伝えられ、地域の神霊として崇拝されてきました。天平13年(741年)に阿波国那賀郡(現徳島県小松島市)の建嶋女祖命神社から勧請されたと伝えられています。
神社の神紋は「千成瓢箪」で、これは豊穣を象徴するデザインとして用いられています。この神紋は波爾布神社が地域の繁栄と平穏を祈願する場所であることを象徴しています。
波爾布神社の創祀年代は不詳ですが、古くから彌都波乃賣命が祀られていました。神社は、平安時代の延喜式神名帳に記載されている式内社であり、木津荘の惣社として重要視されてきました。応永年間には免田として1町余りの土地が神社のために提供されていた記録が残っています。また、明治時代の廃仏毀釈運動の際には高嶋神威隊の急進派により、多くの社宝が失われましたが、旧郷社としての地位を保ち続けました。
波爾布神社では毎年3月10日に「祈年祭」が行われます。この祭りは、その年の豊作を祈願するもので、地域の人々にとって重要な行事です。
4月20日には波爾布神社の例祭が催されます。以前は二月初丑日に行われていましたが、明治時代以降は現在の日程に変更されました。この祭礼には特別な神事が行われ、古くからの伝統を今に伝えています。
この例祭では、坂田郡入江村(現米原市)に鎮座する筑摩神社との関わりが深いとされています。社伝によれば、筑摩神社のご神体が琵琶湖の増水により流され、木津浜に漂着したため、筑摩神社から湖上を渡って献饌行事が行われていたと伝わります。しかし、湖上の天候などの問題から現在では湖上渡り式は廃止され、代わりに「筑摩田」と呼ばれる神田で収穫された米が献饌に用いられています。この米は「筑摩御饌」と称され、御旅所での献饌に用いられる大切な儀式の一部です。
新嘗祭は11月23日に行われ、収穫を神に感謝するための祭事です。地域の農業の繁栄を祝う行事として、毎年多くの参拝者が訪れます。
波爾布神社の境内には、いくつかの摂社が鎮座しています。これらの神社もまた、地域の信仰を支える存在として重要視されています。
熊野神社は、祭神に「熊野久須比命(くまのくすびのみこと)」を祀る式内社で、波爾布神社の境内に位置しています。千年の歴史を持つ由緒ある神社で、地域の人々からの厚い信仰を集めています。
邇岐志神社は、大山祇命(おおやまつみのみこと)と邇々藝尊(ににぎのみこと)を祀る神社です。この社もまた、波爾布神社の重要な境内社の一つとして存在し、古代から続く伝統を今に伝えています。
波爾布神社の周辺には、訪れる人が楽しめる観光スポットがいくつかあります。
木津港跡は、かつて琵琶湖の水運の要所として栄えた場所であり、現在でもその名残を感じることができます。
新旭水鳥センターは、琵琶湖の生態系を学べる施設で、特に冬には渡り鳥が多く訪れるスポットとして知られています。家族連れでの観光にもおすすめです。
健速神社は、波爾布神社とともに地域の信仰を支える神社の一つです。豊かな自然に囲まれた静かな場所で、心を落ち着けることができます。
木津古代製鉄遺跡は、古代の製鉄の歴史を今に伝える貴重な遺跡です。この遺跡では、製鉄の技術や歴史について学ぶことができます。
波爾布神社は、その古い歴史や地域との深い結びつきにより、滋賀県高島市の重要な文化財として位置づけられています。参拝や祭事、周辺の観光スポットも含めて、多くの人が訪れる観光名所としての魅力を持っています。ぜひ一度足を運び、その歴史と自然を肌で感じてみてください。