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日吉二宮神社

(ひよし にのみや じんじゃ)

日吉二宮神社は、滋賀県高島市新旭町深溝に鎮座する神社で、長い歴史と豊かな文化を持つ神社として知られています。かつての村社であり、現在も地域の人々に崇敬される存在です。

神社の概要

日吉二宮神社は、滋賀県高島市新旭町深溝にあり、祭神として大山咋神を祀っています。神紋は双葉葵で、比叡山の鎮守としても崇められてきました。

創建と歴史

社僧家に伝わる「饗庭家文書」によると、保延4年(1138年)に木津荘が山門千僧供領になった際に勧請されたとされています。応永15年(1408年)には氏子の争議により、当神社と現在の大國主神社に分かれ、琵琶湖畔に遷座されました。江戸時代初期までは両神社で4月に例祭が行われており、地域を代表する行事となっていました。

江戸時代以降の発展

遷座の後も、比叡本荘の鎮守として信仰を集めており、琵琶湖の増水により何度か鎮座地が移されました。宝徳3年(1451年)の「二宮神田帳」には、神社の敷地が9反歩であったと記録されています。また、応永29年(1422年)の『木津荘検注帳』にも「二宮」として記載されています。

社家の歴史

室町時代には土豪であった饗庭三坊のひとり、定林坊播磨を初代とする定林坊家が社僧家として神社に奉仕してきました。明治時代の神仏分離の際に饗庭家と名を改め、現在もその血筋が神職を務めています。

重要な祭事

日吉二宮神社では、年間を通じて多くの祭事が行われています。特に例祭では、神職、巫女、宮総代、年行事が一体となり、地域の繁栄や無病息災を祈る神事が行われます。

主要な祭事一覧

祭礼の特徴と進行

例祭は、5月5日に執り行われ、午前中の祭典に続き、午後からは神輿渡御式が行われます。御旅所では神人共食神事が催され、かつての宮座の名残である「座」が設けられます。また、厄除祈願や豊穣祈願を目的とした湯祭や祈年祭なども行われ、地域住民が一体となって神を祀る伝統が受け継がれています。

年行事と役割

神社の祭礼は、特別な役割を持つ「年行事」という制度で進行されます。年行事は任期4年で、4人の男性がそれぞれ「長男」から「四男」と呼ばれます。1年目は前見習い、2年目は見習い(前役)、3年目は本役、4年目は一年目客人、5年目は二年目客人として参加し、役割が交代していきます。

年行事の後の役職

年行事を務めた者は、宮総代になることができ、さらに年行事と宮総代を経験した者が「長老」となり、鬼子母善神堂の世話人として活動する資格が得られます。長老は定数13人で、神社運営における重要な役割を担っています。

境内社と末社

日吉二宮神社の境内には、多くの末社があり、それぞれ異なる神が祀られています。これらの末社も地域に深く根付いた信仰の対象です。

行座神社

行座神社(ぎょうざじんじゃ)は、祭神として大歳神天知迦流水姫神を祀り、旧深溝村の氏神とされています。1月3日の事始祈願祭では、拜殿での的射神事や水門での祓式が行われ、豊作と水の神への祈りが捧げられます。

八幡神社

日吉大社宇佐宮を勧請した八幡神社は、旧霜降村の氏神であり、毎年1月1日に霜降区民による拜賀式が行われます。湯立神事も行われるなど、地域の信仰が色濃く残る神社です。

西宮大神社

西宮大神社は、祭神として事代主命を祀り、旧山形村の氏神としての歴史があります。例祭は5月5日に行われ、6人の古老「六人衆」が運営を担っています。かつての有力な神社で、地域の重要な社です。

文化財と伝統

日吉二宮神社の本殿は高島市指定文化財に指定されています。また、饗庭家文書という中世の貴重な古文書が伝わっており、歴史的価値も高いものです。

交通アクセス

日吉二宮神社へのアクセスには、高島市コミュニティバス「はーとバス」を利用し、「日吉二宮神社前」停留所で下車すると便利です。

周辺の観光スポット

日吉二宮神社は歴史と伝統が息づく神社として、地域に根付いた信仰の拠点です。多くの祭事を通して地域の人々に支えられてきた神社であり、その壮麗な歴史を学びながら、日本の伝統文化を感じることができるでしょう。

Information

名称
日吉二宮神社
(ひよし にのみや じんじゃ)

湖西・高島

滋賀県