水尾神社(みおじんじゃ / みをじんじゃ)は、滋賀県高島市拝戸(はいど)に位置する由緒ある神社で、古代より多くの信仰を集めています。式内社(名神大社)であり、旧社格は県社です。神紋は「菊」とされており、古くから地域に根差した歴史を持つ神社です。
水尾神社の祭神は以下の2柱です。
かつては猿田彦命や天鈿女命を祭神としていましたが、三尾君の祖神を祀る神社として現在の祭神が定められています。
社伝によれば、磐衝別命は猿田彦命の教えを学ぶため当地に来住し、朝夕に猿田彦命を祀る三尾大明神(現・高島市永田の長田神社)を遥拝したと伝えられています。彼の死後、その子である磐城別王が三尾山に埋葬し、社を創建しました。
応神天皇の第十一皇子である速総別王もまた当地に来住し、その4世孫の彦主人王が振姫を妃としました。振姫は水尾神社の拝殿で3人の皇子を同時に出産し、彼らを祀るために創建されたのが河北社の始まりとされています。
明治15年(1882年)に郷社、そして大正4年(1915年)には県社に列格しました。昭和46年(1971年)の河北社の倒壊を機に、現在のように河南社に集約されました。
本殿は一間社流造で、中門を挟んで拝殿が位置しています。拝殿は入母屋造となっており、風格のある佇まいが特徴です。
境内には平成8年(1996年)に和風庭園「水尾庭園」が完成しました。四季折々の風景が楽しめる庭園として、参拝者に親しまれています。
境内裏手の山中には、6世紀の群集墳「拝戸古墳群」が残されており、その中には三尾君祖の墳墓とされる「皇子塚」も含まれています。
3社相殿の八幡社は、1911年に3社が併祀されました。
水尾神社では年間を通して多くの祭事が行われ、地域の人々に親しまれています。
北本殿跡は高島市上拝戸に位置しており、昭和46年(1971年)の台風で倒壊しました。その後、石碑が建てられましたが、遺構は残されていません。
磐衝別命が朝夕拝んだとされる三尾大明神が祀られており、式内社としての歴史を有しています。
水尾神社の大炊殿跡とされ、大石は水尾神社の一の鳥居の礎石とも言われています。
かつての御旅所であり、水尾神社との距離から当時の威勢をうかがい知ることができます。
彦主人王と振姫を祀り、社名「三重生」は振姫の産んだ3子に由来します。
振姫が3子を出産した伝承地とされています。
彦主人王の墓として伝えられており、歴史的価値を持つ古墳です。
水尾神社と関連が推測される神社として、大津市の三尾神社が知られています。この神社は霊材に乗って三尾崎から流れ着いたとされ、水尾神社との関係が指摘されています。
所在地:滋賀県高島市拝戸716
鉄道:西日本旅客鉄道(JR西日本)湖西線 近江高島駅から徒歩約35分